Photo Album 2003

震災から8年目の神戸で,変わったもの,変わらないままのものなどを集めてみました。

震災8年の日に

阪神淡路大震災から8周年を迎えようとしている今,神戸に限らず関西をめぐる社会情況はいっそう厳しさを増している。震災の記憶の風化と依然続く厳しさを増す情況との矛盾の激化に覆われているといえよう。

2002年末頃から京阪神の鉄道では,ほぼ毎日どこかで投身自殺が行われている。かつて問題になった仮設住宅での「孤独死」と同様,これもまた絶望から自ら選んだ死である。この日の来神にあたっても途中,こうした「人身事故」という名の「絶望死」による列車遅延があった。

追悼と再会

今年もまた「1.17」にあわせて神戸入りした。これまで震災ヴォランティアや被災者への公的支援を求める取り組みの中で知り合った多くの仲間との再会の時でもある。


地元&全国各地から集まった (2003.1.16)

慰霊のロウソク (2003.1.16-17)

1月16日の夜から17日早朝まで,三宮センター街東側入り口付近にテントを張って,道行く人にロウソクを灯してもらう,震災犠牲者への追悼の取り組みを続けてきた。主催は,公的支援の法制度の確立を求めて上京を繰り返した,阪神・淡路大震災生活再建支援法早期見直しと拡充を求める会(桑原愛子事務局長)。例年2つあったテントも今年は1つだけに。

この場所にはフェニックスプラザ(阪神・淡路大震災復興支援館)があったが,2002年中に解体され,跡地は丸井などが出店する商業ビルが建設中である。復興支援に関するものは,神戸東部新都心(HAT神戸)に開設された「人と防災未来センター」に移された。神戸市の部局名から震災復興に関するものがなくなったのと並んで,昨2002年における震災に関する幕引きムードを象徴するものだ。


黙祷 (2003.1.17)

慰霊の時刻「5:46」を迎えて,一同で黙祷。このときの気持ちは8年目も変わらない。

メディアと画像

2003年の「1.17」を報じたマスコミの画像・映像は,全体的情況が解る“ひいた”ものが少なく,“絵”になる一部分を切り取ったアップで撮ったものが多いようだ。これは行事・イヴェントが縮小されていることにもよろう。震災の風化をメディアが助長する構図も見えてくる。


メディアに必ず登場する三宮東遊園地の竹筒ロウソクは「1.17」をかたどって並べられた。
それを撮影する報道陣の姿は昨年より少ないようだ。 (2003.1.17)





毎年変わる雪像のデザイン。今年は円筒を基調としたものに。 (2003.1.16-17)




慰霊の時刻「5:46」を過ぎ,夜明けが近づく三宮東遊園地 (2003.1.17)

(2003.1.22)

再開発≠再建

この地の人々は根底から揺さぶられた。一つは地震という天災によって,もう一つは再開発という人災によって。

JR新長田駅南側 (2003.3.22)

左は「神戸の壁」があったところ。「壁」は再開発のために撤去され,淡路島に移された。JR新長田駅ホームより撮影。右側は再開発ビル。人々の生活の場らしい雰囲気が感じられない,無機質で威圧的なスタイルだ。従来の街並みとはおよそ異なった高層ビルがいくつも建てられようとしている。住民にとっては,かつてとは全く異なる景観の中にあっては,原状回復的な生活再建は,もはや望めないものとなっている。住み慣れた場所でで再び従来通りの生活をすることは絶望的だ。とりわけ高齢者にとってこうしたことは厳しくつらいものである。

住民本位の地域再建よりも,こうした再開発の方が,ヨリ大きな土木利権を創出でき,それが一部の存在に利益をもたらす。再開発ビルは,従来より住居費・出店費用が高く,以前からの住民はいくら優先権があっても入居できないし,個人商店も再建できない。震災で破壊された従来の住民生活と地域コミュニティーを不可逆的かつ最後的に破壊するのはこうした再開発だ。再開発自体は震災以前から計画されていたが,震災による家屋の損壊・焼失が,こうした再開発に棹さすものとなった。そのため,震災の時消火活動をわざと怠ったのではと疑う人がいるもの無理からぬことだ。


JR新長田駅北側 (2003.3.22)

再開発には区画整理が伴う。これは西側(鷹取方面)から順次行われ,このあたりは最後になる。そのため依然として建物が建てられないままでいる。震災で損壊・焼失した家屋の基礎や土台がそのまま残っているところも。ここで暮らしていた人はどうなったのだろうか。亡くなったのだろうか,人生を狂わされたままよその地で暮らしているのだろうか……。

ともあれ,再開発が住民の生活を再建するものでないことは明白だ。 (2003.3.25)


JR新長田駅北側 (2003.7.26)

再開発にともなって道路の拡幅が行われる。その一方で住む場所を逐われる住民も少なくなく,震災がその起爆剤になってしまった。すでに拡幅された道路を通る人や車は少なくなっている。もとから住んでいたこの地域コミュニティーの構成員が戻ってくることが絶望的な中で,この再開発が何のためのものかを,作られた空虚な空間が教えてくれている。 (2003.9.3)

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