Photo Album 2006

阪神淡路大震災11年の神戸にて

阪神淡路大震災からはや11年の歳月が過ぎた。昨2005年の「10周年」を「区切り」として終了・縮小された行事も多い一方で,それぞれの方法で地道に続けられているがあることを忘れてはならない。

例年通りでは…


三宮東遊園地にて (2006.1.17)

今年も「1.17」当日については,かろうじて全国的に阪神淡路大震災の日であることを想起させられたといえよう。もっともそれも,昨年を区切りとしたことや,ライブドアへの強制捜査や連続幼女殺人事件上告審判決などのニュースに一定程度目をそらされた感もあり,昨年までには及ばない。報道映像によく使われる三宮・東遊園地についても,ローソクを浮かべた竹筒は例年通りだが,毎年趣向を凝らしたデザインの雪像はなくなった。


準備風景 (2006.1.17)

竹筒に水を入れ,ロウソクを浮かべて灯す作業は,前夜から集まり,深夜〜未明にわたる,ヴォランティアの手作業だ。映像つくりのための報道関係者の準備も始まっている。


鎮魂のロウソク(左),黙祷する人々(右)(2006.1.17)

「1.17」をかたどって並べられた竹筒にはメッセージが書かれている。震災発生の午前5時46分には時報を合図に黙祷が捧げられた。


神戸市役所1号館展望ロビーより三宮東遊園地を望む(左),ポートアイランド方面を望む(右)(2006.1.17)

1.17追悼・連帯・抗議の集い

市民が担う行事のうち最大級ものが,神戸市役所前一帯で行われる「1.17追悼・連帯・抗議の集い」だ。ステージをはじめ,お焼香・献花・記帳,展示コーナー,お善哉などが行われ,訪れる市民・被災者らの交流の場となっている。


追悼・連帯・抗議の集いのステージ (2006.1.17)

この集いの呼びかけは,現在の被災地の情況を集約している;

市民のみなさまへ

 震災六十年大震災十年の年が,理念も道義もない様相の中に通り過ぎました。
 小泉氏の詐術と小選挙区制の魔術とが,百万票少ない政権側に三分の二を超える勢力をもたらせた結果,欣喜雀躍する小泉自公政権と両党はひたすら日米同盟教化にひた走り『人々の命と人権無視,福祉切り捨ての恐怖政治』を法と経済政策の両面で着々と推し進めています。
 加えて民主党の正体露呈です。政権党との違いを,より専制的な方針を打ち出すことに求めようとしています。そのことは,憲法改悪とその前段の国民投票法案への姿勢に明らかです。
 憲法公布六十年大震災十一年目のこの年,私たちはどうすれば良いのでしょうか。
 何としても考えねばならないことは『憲法改悪阻止』です。それは,どうあっても『憲法改悪』を実現させようとする権力の側の前段攻撃との攻防から始まります。
 陸軍司令部の日本移転を含む米軍再編と自衛隊新配備・基地共同使用と共同軍事行動等に関わる諸問題を,根源から分析解明して人々に周知徹底させることが焦眉の急となります。
 また『テロ対策』を表面的理由とした『防災(?)訓練』の実態についても同様です。
 高齢者・障害者・失業者・非正規労働者・被災者等々,それぞれに抱える問題を通して声を挙げ行動を起こすことこそ,私たちの唯一の反撃と言えましょう。
 『命・人権・平和』。生きるために闘いましょう!
 十一回目の"1.17追悼・連帯・抗議の集い"にご参加下さい。
 相い集い,語り合い,問題を共有しましょう!
       『1.17追悼・連帯・抗議の集い』実行委員会一同

それぞれのやり方で

多くの人を集めたり組織化しての「1.17」行事の数や規模が縮小される中,それぞれのやり方で惨禍と犠牲者を忘れないための活動を続けている人がいる。


犠牲者への鎮魂の祈りを捧げる ギリヤーク尼ヶ崎さん (2006.1.17)

前衛舞踏家・ギリヤーク尼ヶ崎さんは,阪神淡路大震災の1月後,菅原市場で「念仏じょんがら」を踊って以来,毎年「1.17」に神戸で踊っている。この数年来,長田区御蔵通の空き地となっている被災家屋跡で,犠牲者に鎮魂の踊りを捧げている。


「念仏じょんがら」を熱演 (2006.1.17)

ギリヤーク尼ヶ崎さんの鎮魂の祈りは,神戸にとどまらない。2002年9月11日には,前年の「9.11」の攻撃事件で崩壊した,ニューヨーク・世界貿易センタービル跡「Ground Zero」で鎮魂の舞を披露し,2004年4月には,ニューヨークで「鎮魂の舞」上映会と公演を行った。

地上げ屋が行く…


再開発後の街路(左),長田工業高校跡の再開発(右)(2006.1.8)

新長田地区は,阪神淡路大震災以前から神戸市当局による再開発が強行されており,震災の惨禍に見舞われた後お,その猖獗をいっそう極めてきたことは周知のことだ。おおむね西の鷹取附近から東に向かって進められ,多くの地域では,減歩・換地などが既に終わっている。だがそうした地域でも新たな動きがあり,油断と看過は許されない。


ボランティアグループ地球村(左),外装の一部に被災建造物の煉瓦(右)(2006.1.8)

ボランティアグループ地球村村長の・李得実(村田実)さんが,新たな活動拠点にしているスペースもそうした場所にある。外装の一部に被災建造物の煉瓦を利用しているのは,再開発のため,景観から震災の爪痕が急速にかき消されてきたなかで,震災を忘れず,その地に生きてきた犠牲者に思いを致し続けるためだ。


南側入口をふさぐカラーコーンと「整地」された隣接地(2006.1.8)

2005年12月,クリスマスも過ぎ,暮れも押し迫ってきた頃,神戸市当局は,隣接地の整地を口実に,新たな攻撃に出た。その隣接地に,突如としてフェンスを張り巡らしただけでなく,「整地」対象(依然あった建築物の基礎の除去が口実のようだが,今のところ掘削はしていない)地を超えて,李さん宅の南側の出入り口附近をもフェンスで囲い込もうとしたのだ。李さんが抗議のビラをまき,この事態を広く訴えたことで,李さん宅横をフェンスで囲い込むことはしなくなったが,姑息にも工事業者名の入ったカラーコーンが強行設置されるなど,未だ威圧の手を緩めていない。

これとあわせて神戸市当局は,2005年になって,突如として李さんに減歩の上,換地するなど,この地を離れるよう求めてきた。折からの病身となった李さんにたいして神戸市当局は,バブル期に各地で横行した民間人の地上げ屋を凌駕する,殺人攻撃ともいうべき挙に出ている。

仮設住宅のあと

阪神淡路大震災の後,被災地各所につくられた仮設住宅の中には,被災者がそれまで長く暮らしていたところから離れたところにあるものも多かった。かつて「週末ボランティア」では,こうした仮設住宅を訪問し,住民の声を聞き,住民自らが声をあげるためのサポートを行ってきた。


仮設住宅が建っていたところ (神戸市西区。2006.1.15)

こうした仮設住宅の後を訪ねてみた。西神ニュータウンの一角で,築後年数がさほど経っていない(その少なからざる部分は震災後に建てられた)住宅が並ぶところの近くにあるグラウンドや空き地に,かつて仮設住宅が建っていた。


仮設住宅が建っていたところ (左),それに隣接する復興住宅(右)(2006.1.15)

このあたりは,市街地よりも夏はいっそう暑く,冬の寒さも厳しい。さらに時折吹き付ける強風も,井吹台と名付けられたこの地の気候の厳しさを象徴している。この日も,長田区菅原で被災した住民の方と話したところ,少しは慣れたとはいえ,この地の気候の厳しさは身体にこたえるとのこと。また別の住民は,問題や不満があっても行政に声をあげる気力が削がれているとのことだ。 (2006.1.20)

海神社の猫


海神社の猫・ミーちゃん (2006.6.24)

JR山陽本線・山陽電鉄垂水駅の海(南)側,国道2号線(通称「ニコク」,旧西国街道)に面して海(わたつみ)神社がある。ふるくから海上鎮護の神として篤い崇敬をうけてきた神社といわれる。最近,この境内に住み着いた1匹の猫が話題になっている。幼猫時に受けた虐待のためであろうか,しっぽの先が二叉になっているが,これに触ると願い事が叶うというのだ。祈願が成就したという人が地元新聞に投書したことを契機にマスコミデビューし,ついにはテレビで全国で放映されるに至った。人間にたいする不信感や警戒感がもともと強い上,ストレスもため込んでいるようだ。 (2006.8.1)

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