Photo Album 2008

阪神淡路大震災13年の神戸にて


早朝の東遊園地 (2008.1.17)

阪神淡路大震災から13年の歳月が過ぎた被災地では何年ぶりかの寒い「1.17」となった。 被災者の方お話しでは「震災の時もそれぐらい」か「(避難で精一杯で)それどころでなかった」のいずれかだった。ここ何年か,多少天気が崩れながらも暖かい「1.17」が続いていたが,そうした中で,震災と犠牲者に思いをいたす側も少し甘えていたのではとの思いがする。改めて身を引き締めて臨んでいきたいと思った。今年も早朝から多くの人が鎮魂と慰霊に訪れた。コーヒーや豚汁の差し入れや炊き出しは,暖かさがらだと心の両方にいっそう染み渡るものだった。


慰霊と鎮魂以外の言葉が増えた竹筒(左),竹筒以外では唯一となった行灯(右)(2008.1.17)

今年の三宮東遊園地では,「1.17」をかたどった竹筒は例年通りであったが,そこに書かれた,震災を経験していない世代の子どもたちの言葉のなかには,震災犠牲者の鎮魂と慰霊とは無関係なものも散見され,震災の風化を憂慮させるものもあった。また竹筒以外のものは昨年にもまして少なくなっていた。

第13回 1・17追悼・連帯・抗議の集い


第13回 1・17追悼・連帯・抗議の集い メインステージ(左),慰霊の焼香(右)(2008.1.17)

午後は神戸市役所前にステージをつくって行われる「1・17追悼・連帯・抗議の集い」へ。今回は移動がはかどらず,滞在時間が短かったため,ぜんざいの炊き出しで暖まりながら,何人かの被災者・支援者と交流したにとどまった。寒さと時折吹き付ける強風の中,薪ストーブ近くでステージを見続ける人,慰霊の焼香をする人が絶えなかった。

今年も!鎮魂の舞


鎮魂の舞を披露する前衛舞踏家・ギリヤーク尼ヶ崎さん。長田区御蔵通 (2008.1.17)

例年長田区御蔵通の空き地で震災犠牲者鎮魂の舞を披露している前衛舞踏家・ギリヤーク尼ヶ崎さんは,今年も舞った。昨年の「1.17」では体調不良で演目を減らし,秋には入院・手術をしていた上,この日も体調がすぐれなかったとのことだ。例年であれば舞い始める正午を過ぎても準備が依然続いており,なおのこと心配される情況だったが,いざ舞い始めてみると昨年・一昨年を凌駕するすばらしいもので,ダイナミックさといい,キレといい,この3年間の中で最高のものであった。


準備風景(左),舞に先立って犠牲者に慰霊(右)(2008.1.17)

かつて「鬼の舞」といわれたリヤーク尼ヶ崎さんにとって,阪神淡路大震災の被災地での鎮魂の舞は,これまでの舞からの大きな転回をもたらした,いわば原点のようなものであるという。慰霊・鎮魂の原点を,ともに立ち帰って確認することの重要性を想起させられるものであった。また今年は,フリージャーナリスト・粟野仁雄氏により「震災犠牲者のために舞う「魂の老舞踏家」」として「週刊金曜日」(2008/01/25号)で紹介された。


鎮魂の舞(左・中),舞い終えて(右)(2008.1.17)

時空を越えて


震災前の街の記憶を募るパネル展示。長田区・大正筋商店街 (2008.1.17)

新聞やテレビは今年も「1.17」に定期便的に震災関連記事や番組を出す。今年は,今更という感が拭えないが,再開発が頓挫しいまだ残る更地や,再開発ビルに変わった商店街の苦闘する姿が採り上げられた。その中でNHKが採り上げた,長田区の大正筋商店街は,震災前のかつての街にまつわる思い出を寄せてもらいながら,震災後にやってきた新住民との交流を進める企画をしていた。

ここでも豚汁の炊き出しが。昼近くなってマシになったとはいえ依然残る寒さが震災の日を,そこで戴く豚汁の温かさが人のつながりを想起させてくれることが,人々の会話から伝わってくる。だが,降りたままのシャッターが並ぶいわゆるシャッター通りとなった再開発ビルの寒々しさは,震災前や被災陶磁には想定外であったことだろう。

震災前の商店街の写真と,周囲に思い出を書き込むスペースをもった立て看のかたわらには,住民ではなく大学名が入ったそろいのトレーナー姿の学生の姿があった。この大学は,まちづくり関係で地域に深く根ざした実践を志向しているようだが,震災関連では行政との協働に軸足を置いた,体制的スタンスが目立つ。教育・研究での地域との連携も必要だろうが,大学名の宣伝の色彩が強いようだ。

(2008.1.30)

消えゆこうとするホテルシェレナ

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コミュニティ春日野


コミュニティ春日野(2008.4.27)

海岸近くの工場跡地を再開発して建設された高層住宅群であるHAT神戸・脇の浜住宅からやや離れたところに、阪神高速の高架に隔てられた一棟の住宅がある。周囲はまだ工場街らしさを残したところで、住宅としてはそうした中に孤立して建っているという感じだ。48戸のすべてが単身者用であるが、住人は皆高齢者ばかりだ。復興住宅の形をした老人ホーム、「コミュニティ」と名がつく「限界集落」といっていい。

旧・住宅都市整備公団の融資を受けて建設され、神戸市が民間借り上げ市営住宅としているので、設計・施工の上ではそれらの基準は満たしているのだろうが、バリアフリー化はもとより高齢者向けの配慮がなされている様子はうかがえない。そうしたところに居住してほんとうに自立生活できるのであれば、それに越したことはないが。1回の道路に面した部分には商店が入るスペースになっているが、入居・営業はしていない。

ここでは、最年少である70代の入居者が、他の住民を見守りお世話をすることで、辛うじて「コミュニティ」が維持されている。それについては何度か新聞・テレビで採りあげられた。

震災遺族ら取材 島根の中学生、命をテーマに修学旅行 神戸新聞 2007/10/25)
高齢化進む復興住宅の1年を追う 朝日新聞 2008/03/08)
福祉ネットワーク NHK 2004/01/14)

(2008.7.7)

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