Bicycle−つれづれなること

あぁ骨折

自転車に乗っていると事故や怪我は避けられない。ある程度リスクを背負って乗るものだ。もっとも時には重傷に至る場合もある。私が経験した鎖骨骨折というのも結構あるようだ。

ここではまず,骨折してから仕事に復帰するまでの経過をたどってみることにする。

(1)骨折から退院まで

2005/10/21(Fri) とんだ国際反戦デー

10月21日は国際反戦デーだ。これはヴェトナム戦争反対の声が澎湃と湧き起こった1966年からそうなったとのことだが,私が卒業した早稲田大学では創立記念日として休講になる日でもあった。もっとも早稲田大学及びその前身である東京専門学校がこの日に創立・開校したわけではなく,キャンパスで国際反戦デーに合わせた大規模集会が開かれるようになったため,この日を休講にすることにしたのだという。

このところ平日は,人材派遣で仕事をするため,都心方面へ自転車で通うようになった。うちから目白台〜早稲田鶴巻町を経て牛込エリアを抜け,四谷から赤坂見附といった経路をたどる。ある程度通い慣れてきたこともあり,時間にも余裕があったので,今朝は,下り坂で全速力を出したり,赤に変わる寸前の信号で交差点に突っ込んだりする必要もなく,朝にしてはややのんびりした走り方をしていた。

四谷から赤坂見附に向かって下り坂となっている外堀通りを走っていたら,赤坂見附交差点の100mほど手前にさしかかったところで,後方から1台のバイクが追い抜いてきて,いきなり私の前をふさぐ形になった。接触すると思った私は急ブレーキをかけた。

次の瞬間,前輪がロックした状態となり,前方に投げ出され,ほぼ1回転したあと地面に投げ出され,左半身がアスファルトの路面にたたきつけられた。路上からは件のバイクが永田町方面に直進して猛スピードで走り去るのを虚しく見た。

幸い頭を強打するようなことはなかった。また腰を強く打ったためすぐに起きあがれなかったが,暫くすれば自力で起きあがれたので,擦り傷こそ附いたが腰に異状はなかった。だが,同じく地面に打ち付けられた肩のあたりに異状を感じた。恐る恐る触ってみると,鎖骨が折れていることに気づいた。

生まれて初めての骨折だ。

転倒&骨折した現場
転倒&骨折した現場 (港区元赤坂の外堀通り)

転倒(「顛倒」と言った方がいいだろうか)した場所のほぼすぐ向かい側に病院があった。しかも事情を話すと早速診てもらうことができた。だがここで医師から,全身麻酔で手術が必要で,麻酔に備えての検査などのため,手術まで1週間近くかかると言われたのだ。派遣会社に連絡したところ,出勤途上の事故として労災がおりることになったのだが,この病院は労災指定病院ではなかったため,ここで治療を受けるには多額の自己負担が必要だという。

不幸中の幸いとは言っていられない。結局ここでは応急処置をしてもらい,痛み止めなどの処方箋を出してもらっただけで,以後は他の病院で治療を受けることにして,昼から職場に出た。

ここへ向かう途中の自転車事故はこれが初めてではないので,内心「またか」と思われることは不可避だろう。ついには「神仏をしっかり拝んできたら…」と言われる始末だ。

骨折に加え日本での入院のW初体験が確実になった。悪くすれば全身麻酔を加えてトリプル初体験になるかも知れない。

2005/10/22(SAT) 入院

うちの近くでいくつか手頃な病院はありそうだが,土曜日に飛び込んで診てもらえるところとなると限られてくる。労災指定病院に限ればなおのことだ。

以前タクシーと事故ったときに運び込まれた病院が,うちから近く,労災指定になっていて,土曜も午前中は診てもらえることを想い出して,行ってみた。

ここでもまたレントゲンを撮られたが,前に来たときよりもずいぶん手際がよくなっているのに感心し安堵を覚えた。運良く院長先生に診てもらえた。やはり手術をして折れた骨を金属プレートとネジで固定しなければならないことには違いないが局所麻酔でいいとのことだ。万一誤って鎖骨の奥にある神経を傷つけると腕や指が麻痺するので,これを防ぐため,意識のある状態にして確認しながらするためで,これがもっとも危険が少ない方法だという。治療方法もさることながら人柄も信用できそうなので,ここでお願いすることにした。

かくしてピアスもしたことがないのに,生まれて初めて身体に穴をあけて金属を入れることになった。しかも今日は私の誕生日だ。今まででもっともまいった誕生日といわねばならない。

入院した病院
入院した病院

即日入院になったが,入院に必要なものを何も準備していなかったために,いったんうちに帰って当面必要と思われるものをもって,夕方近く入院した。左手が使えないため,右手でもって,ママチャリのかごに入る分だけしかもって行きようがなかったが,自転車で行ったことから病院職員に「お見舞いに来た人かと思いましたよ」といわれた。

病室に入って暫くすると夕食の時間になった。いかにも病人の食べ物という感じだ。

夕食以上に早いのが病院の夜だ。休んだ仕事のことなどが頭をよぎったが,疲れがたまっていたせいでもあろうか,それなりに寝ることができた。

2005/10/23(Sun) 入院2日目

病院の朝もこれまた早い。6時頃から看護婦(もっとも今は看護師と呼ぶが)さんが動き回っていて,その物音で目が覚める。だがこの病院にいるすべての人に朝が来たわけではない。他の入院患者が交わす会話の中で,昨晩か今朝未明に亡くなった人がいることを知る。

体温や血圧を測られたあと,8時から朝食。食パンに牛乳が附くという,小学校の給食のようなメニューだ。しかもおかずは冷たい。何とかがんばってお腹に入れた。

午前中は点滴。針の部分は以後も使うとのことで,腕に取り入れ口のようなものができた。延びてきた管につながれると,ロープでつながれている飼い犬のような感じだ。手持ちぶさたなので本などを読んで過ごす。

昼食もそれなりのもので,入院患者になったなぁと言う感じをいっそう強めるものだ。

昨日に続いて好天でしかも暖かい。新聞を読みに近くの図書館へ行き,帰途喫茶店でケーキとアイスコーヒーを注文し休憩。しばしの息抜きになる。

病院に戻って読書の時間にする。

2005/10/24(Mon) 入院3日目:忙

今日が入院後初の平日になるため,急にあわただしくなる。仕事関係の各方面への連絡はもとより,病院でも明日の手術に向けて動き出す。食事が昨日・一昨日より幾分ましなのが救いだ。

手術を担当する医師から手術の説明を受ける。一昨日院長から聞いたのとほぼ同じ趣旨だ。午前中はやはり点滴だ。

午後はシャワーを浴びにいったところ,看護婦さんが明日の手術の準備をしているところに出くわす。ややシュールな感じ。さっぱりしてから,短時間ながらうちに戻って,入院時に持っていけなかったものを,やはりママチャリのかごに入るだけだけ取ってくる。そして帰途は喫茶店によって,ケーキとコーヒーを注文し休憩。

晩には厄介なことが起こった。近所の特養施設の入所者である1人の高齢男性が入院してきたのだが,この人物は何かにつけて看護婦の手を煩わせただけでなく,ほとんど間断なく意味不明なことを大声でしゃべり続け,全然休むどころではなくなってしまった。

病室に持ち込んだノートPCには,音楽もデータ化して入れてあるので,それを聴くという手もあるし,同様にNHKラジオのフランス語講座のCDも入れてあるので,それを聞いて多少の勉強もできた。

本題からそれるが,実は今月からNHKラジオのフランス語講座を聞いている。これまでかじったこともないので,聴いているのは当然のことながら入門編だ。昨年前半期の再放送で,入門編にしては始めからかなりハイレヴェルと思われるところも多々あるが,女性講師の声が結構カワイイので続いている。

件の大声は消灯時間を過ぎてもいっこうにやむ気配がない。羊の数を数えて寝ようにも une, deux, trois, quatre, cinq, six, sept, huit, neuf, dix だけでは到底無理だ。

2005/10/25(Tue) 入院4日目:手術

件の音声は結局朝までほとんど間断なく続き,私が寝られたのは2〜3時間ほどだろうか。それでも昼には手術が控えている。朝食は通常の半分となり,午前中の点滴の間睡眠を補う。

手術は12時からで,他の患者さんに昼食が運ばれてくる中を歩いて手術室へ向かう。手術室について着替えて手術台に寝る。スタッフの最後に担当医がやってくる。自他共にリラックスさせようとしているのだろうか,笑顔で優しい目でやってきてくれたのがありがたい。

これなら小さい頃にいった歯医者よりかなり楽勝な感じだ。

いざ切開してみると,レントゲン撮影で見たのより厄介だったようだ。単純骨折したのではなく,2カ所で折れており,その骨片がかなり奥まったところに入り込んでいたようで,麻酔を追加して取り出した模様だ。局所麻酔というのがかなりピンポイント的に作用するもののようで,想定された範囲を少しでもはみ出すと,その都度追加するのだ。

この手術のメインは,チタンのプレートとネジで骨折箇所を固定することだ。ところが骨に縦方向のヒビが長く入っているのが判ったため,渡すプレートを長いものにした上,当初予定にはなかったワイヤーによる固定が加わった。かくして予定を超えて1時間半ほどかかった。

手術室からストレッチャーに乗ってレントゲン室を経て病室に戻る。手術自体はうまくいった上,まだ麻酔も効いているから痛みらしい痛みは感じず,異物感というか,圧迫感というか,締め付け感というか,そうした感覚があるからだ。

病室に戻ってもこれまたゆっくり休むわけにはいかない。病室に戻ってみると削岩機の音が響いてくる。病院の隣の建物が解体工事中なのだ。削岩機の音が機関銃のように聞こえ,戦場の野戦病院のような感じだ。

さらにこれからは,手術前のものとは違う点滴を1日2本することになったが,なぜかトイレが近くなるのだ。そのたびごとに苦痛をこらえて起きあがり点滴台を持って移動するのが大変だ。しかも深夜までそれが続いた。

2005/10/26(Wed) 入院5日目:痛みとの闘い

手術箇所の痛み,というより締め付けられ圧迫されている感じといった方が正確だろう,のため殆ど寝られないまま朝をむかえた。食事は普通に出され,一応残さず食べる。

手術箇所以外は何ら異状はなく普通に動かせるはずなのだが,手術箇所に動きや力が加わると圧迫感が強くなり痛みを感じるため,寝返りをうったり,体を起こしたりするだけで一苦労だ。

午後には手を動かす気力も出てきたため,昨日かつての教え子がくれたお見舞いメールの返事を出したり,読書したりする。夕方に見舞客あり。多謝。

既に二晩続けて充分な睡眠をとっていない上,手術箇所の圧迫感が続いていて,今晩も眠れなさそうだ。こうなってくると感じる苦痛が大きくなるだけでなく,術後の回復にも支障が出てきそうなので,睡眠薬を出してもらう。

2005/10/27(Thu) 入院6日目:汚

睡眠薬のおかげか,充分な睡眠がとれた。睡眠薬の効果は,単に睡眠をとるということだけでなく,病院の長い夜を気分的に短縮することにもあると知る。

担当医の回診で,術後の経過の良好なることを知らされ一安心。またこれからは,手術直後から着用していた浴衣のような寝間着でなくてもいいとのことだ。痛みや圧迫感も昨日よりましだ。かくして普通の生活に一歩近づいた

だがすべてがそうなるわけではない。シャワーを浴びたいと言ったところ,いったんはOKが出たが,午後検温してみると37.4℃の微熱があると出てしまいNGに。術後は微熱が出ると言われていたもののずっと36.8〜36.9℃ほどであったのだが。夜にはまた通常値に戻っていた。

かくして「汚ギャル」なみの不潔度に転落してしまった。

2005/10/28(Fri) 入院7日目:初シャワー

痛みや圧迫感もかなりおさまり,病院内の雑音もほとんどなかったにもかかわらず,昨晩は遅くまで寝付けなかった。これまで午前午後各1本あった術後の点滴も午前中の1本だけとなり,気分的にも楽だ。

午後はようやっと手術後初のシャワーを浴びることができ,さっぱりする。

私が入院しているのは定員6人の大部屋だ。そこにもっとも長くいると思われるのは,近くにある特養施設の入所者で,施設と病院をいったり来たりしているような人たちだ。ところがこのところ病室の平均年齢が一気に下がった。昨日から椎間板ヘルニアを患って牽引を受けている左官職人に加え,今日は肺気腫を患った学生がやってきた。聞けば私の出身大学の同じ学部の1年生だ。しばらく話したあと,フランス語の勉強をし出した。

夜,お見舞いに戴いたマロングラッセを食べる。結構リキュールが入っている。傷の治りが悪くなるか,それとも消毒になるか。

2005/10/29(Sat) 入院8日目:帰れず

昨晩もまた,苦痛こそ減ったものの寝付くまでに時間がかかったがそれなりに寝られた。今朝はこれまでより冷えた。痛みや圧迫感がおさまるというよりは,手術で入れられたものへの異物感に身体の方が慣れてきたといった感じだ。左手・左腕を使うにも抵抗感が減った。もちろん左腕を水平以上の高さにすることは止められているので,しないが。

点滴は午前中の1本だけ。午後は昨日同様シャワーを浴びる。その際身体に附けてあった点滴針を外す。1週間使い続けたため通りにくくなっていたためだ。その後一時外出してうちに労災関係の書類や荷物を取りに行こうと思ったが外出許可が出ず,病室で読書などをして過ごす。

2005/10/30(Sun) 入院9日目:愚痴と罵詈雑言の嵐

病室の消灯は21時だが,昨晩も1時間余りそれを超えてベッドで読書などして過ごしたため,寝付くのが遅かったが,朝目が覚めたのも5時頃と早い。6時過ぎに看護婦が廻ってきて,昨日1日の大小の回数などを聞かれる。その後再び寝て8時の朝食で3たび起きる。

今日も点滴は午前中に500ccのものが1本だけだが,このとき新たに点滴針を左腕にさしたが,少し手を動かすと痛くなるので,終わるまでの1時間余りの間動かさずにいて,終わったらすぐ外してもらった。前回は,さしてもらったときもそれ以降も痛みや負担感は全くなかったのだが。看護婦の腕の良し悪しだけでなく,同じ血管に何度もさすとそうなるのだろうか。

昼,別の大部屋で日当たりのいいところが空いたので,そちらにベッドを移動。読書やPCを使った作業がやりやすくなる。ところがここには困ったちゃんがいた。ある患者にその娘という中年女が付き添っているのだが,この女は絶え間なく大きな声で,病院スタッフだけでなく他の患者やそれに付き添っている家族らにも,病院や医師・看護婦にたいする不満などの愚痴罵詈雑言をふれて廻っている。そのやかましさで落ち着いて休むどころではない。しかもこの女と関わり合いになることを避けて,看護婦もこの病室に寄りつかなくなっている。

その原因たるや,この女の思いこみの激しさと,人のいうことを聞かない自己中心的偏執狂的性格によることは,少し聞いていれば誰にでも判ることだ。こんな困ったちゃんがいれば,単に迷惑だという域を超えて,治るものも治らなくなるではないか。この女と病院スタッフのやりとりがもれ聞こえてくるところからは,ここに来る前にも他の病院(ここよりも大規模で設備も整っていると思われる)で,この女のために患者に適切かつ必要な治療措置がとれず症状を悪化させられ,いわば厄介払いされて転院させられてきたことも解る。もしこの患者に最期の時が訪れるとすれば,天寿を全うしたものでも,医療が至らなかったからでもなく,この女の愚痴と罵詈雑言の嵐以外の何ものにもよることはないであろう。

それ以前にこの女,病院への入院が共同生活だということが解っているのだろうか。患者が痛みや苦しみに声をあげるのはお互い様としても,かかる無用の痛苦を持ち込まれる筋合いはない。

近くのコンビニにFAXを送信しにいって戻ってきたら間もなく,高校教師をしていたときの教え子が見舞いに来てくれた。気持ちはずっと女子高生の時のままの姿を見て元気が出てくる。ありがたく嬉しい。

2005/10/31(Mon) 入院10日目:忙・憂・閑

部屋が明るくなった分,朝の訪れも早い感じだ。しかも6時にはもう看護婦から昨日の尿と便の回数を聞かれる。休日あけの月曜日だけにさまざまな動きがあわただしい。転退院する人だめでなく救急車の到着が多いことにもよろう。

昨日の愚痴罵詈雑言女が付き添っていた患者には今朝が来なかった。夜明け前に亡くなったようだ。愚痴罵詈雑言の嵐に虐殺されたに等しい。この日がこんなに早くくるとは。嗚呼,哀れなる哉。合掌。

午前中は昨日と同じ点滴500ccを1本。今日は針が比較的うまく入った感じだ。

昼近くに仕事関係の電話が入る。点滴開始が遅かったためまだ針が刺さって続いている中で30分ほど話す。その間に昼食(これまでの病院食の中ではかなり食べごたえがある感じ)が運ばれてきたが,しばらくは手をつけられず。普段以上の忙しさを感じた。

夕方,TVで第3次小泉改造内閣の新閣僚が決まったことを伝えている。改造といっても実態は粛清に他ならず,イエスマンで固めただけのことだ。これに先立って決まった自民党3役は,A級戦犯・岸信介の孫・安倍晋三が幹事長になるなど,論功行賞の域を超えてキナ臭いものがある。

そうはいっても日中のほとんどの時間を読書をしたり横になったりして過ごす。今日もシャワーを浴びる。このところ毎日だが,そうした入院患者は他にいないようだ。

こうした多忙から解放された生活ももうすぐ終わりだ。

2005/11/1(Tue) 入院11日目:抜糸〜退院

病院での最後の晩は割とよく寝られた。朝の早さにも慣れたわけではないけれども,それなりに適応している感じだ。朝食後退院に備えて持ち込んだ荷物をまとめはじめる。午前中は例によって止血感染症予防の点滴500ccを1本。今日は比較的すんなり針が入り,痛みは少ない。

抜糸は午後になるということで,昼食が病院での最後の食事となった。食べかけているところへ仕事関係の電話が入り,そこに急遽これから抜糸をするのですぐ診察室に来てくださいといわれる。急いで電話を切り上げ食事をかき込む。

診察室では,手術の時の担当医がいてすぐ抜糸をはじめた。毎日のガーゼ交換の際,看護婦から,傷口はきれいですよといわれていたし,確かに縫い目がきれいにそろっているのは解るが,どれだけ傷跡が残るかが気にかかるところだ。

医師からは,今日から風呂に入っていいといわれたが,同時に,3ヶ月は左腕を水平より高くあげないようにいわれる。レントゲンで手術部位の様子を確認して終わりとなった。

来たときと同じように,ママチャリに荷物を積んでうちに向かう。天気も良く暖かなのが嬉しい。もっとも帰ってから用事が山積しているのだが…

(2006.11.11)

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