Bicycle−つれづれなること

1.17震災メモリアルサイクリング2009

阪神・淡路大震災の発生した1月17日にあわせ,被災地にある慰霊碑や被災情況を今に伝えるモニュメントなどを自転車でまわる「1.17震災メモリアルサイクリング」が,この数年来行われている。今2009年も「1.17」にあわせて神戸に輪行したので,参加した。

今年で6回目となるというメモリアルサイクリングは,神戸市民自転車同好会が主催しており,同会は,「1986年4月 若い自転車愛好家が中心となり元気を出し合ってサイクリングを通じて燃えよう!という意気込みと中国大陸に夢とロマンを求めて走破しようとスタート」したもので,中国をはじめ,ベトナム・モンゴルなどの各国へのサイクリングとあわせて,国際貢献活動も行っている(財団法人神戸国際協力交流センターのサイトでも紹介されている)とのことだ。

出発まで

このメモリアルサイクリングは,神戸新聞や全国紙の地方版のいくつかのほか,神戸市による震災行事のお知らせでほぼ毎回伝えられており,当日集合場所に自転車で来れば誰でも参加できる。

震災の慰霊碑,自転車で巡ろう 16日神戸 2009/01/14 神戸新聞
「阪神淡路大震災1.17のつどい」の開催について」 (協働と参画のプラットホーム)

2009年のメモリアルサイクリングが行われたのは,1月16日,集合は午前8時半,神戸・三宮の神戸市役所南側にある東遊園地の南東端近くにある「慰霊と復興のモニュメント」前とされていた。周辺では翌17日未明からの慰霊行事の準備が始まっており,それを避けてか,遊園地内のやや奥まったところに参加者は集まっていた。参加したい旨を祇園明敏会長らに告げ,半日行動をともにした。


東遊園地に集まった参加者の自転車 (左),都賀川沿いを登る参加者 (右) (2009.1.16)

参加者はほとんどみなレーパン・ヘルメットというフル装備で,中には若干折りたたみ車を輪行してきた方もいたが,ほとんどはロードかクロスで,ママチャリのごときは皆無であった。参加者の平均年齢が60歳を超えていたの確実と思われ,“若者”といえそうな年代の参加者はわずかであった。これは平日に行われ,勤め人や学生が参加しにくかったためであろうか。記念撮影のあと,報道陣のカメラが向けられる中,「慰霊と復興のモニュメント」と「1.17希望の灯り」を背にして,東遊園地を出発した。

まず,第1番目の目的地,神戸大学へ向かう。国道2号線を東に走り,都賀川に沿って北上して,次第にきつくなる坂を上り,六甲山系に抱かれたキャンパスにいたる。国道2号線を走る間はのんびりしていたが,都賀川沿いではまもなくきつくなってくる。変速機なしの自転車では厳しい。

都賀川は,昨2008年夏のゲリラ豪雨で犠牲者を出したところだが,それが想像できないほど普段は小さな流れの川で,この日も穏やかであった。同じ昨夏のゲリラ豪雨による惨禍といえば,東京・雑司ヶ谷での下水道工事作業員が犠牲になった一件も忘れることができないが,奇しくも同じ自転車で東西のゲリラ豪雨惨禍の地を走った。震災犠牲者慰霊の前に水難犠牲者も忘れてはならないだろう。

神戸大学

出発してから約7kmを経て神戸大学へ。職員2名,学生39名と,被災地の大学としては,最大の犠牲者を出した神戸大学では六甲台キャンパスに「兵庫県南部地震神戸大学犠牲者慰霊碑」を建立し,毎年「1.17」前後に慰霊行事を行っている。今2009年は,曜日に加え,センター試験の日程もあることから,16日昼に予定されていて,その前に慰霊碑前で黙祷した。


兵庫県南部地震神戸大学犠牲者慰霊碑(右),
慰霊碑前で黙祷する参加者 (上)

キャンパスから見下ろす神戸の景色をしばし見てから,今登ってきた坂を下り,山手幹線を東へ向かう。

魚崎わかばサロン

神戸大学がある灘区から東灘区へ入る。神戸市の東端にあり,第2次大戦後に神戸市に編入された地域である東灘区は,神戸市の阪神・淡路大震災における犠牲者数が最も多い区だ。ふるくから富裕層が多かった地でもあることもあわせて考えれば,被災地における格差の大きさを,もっとも端的に示す地であるといってもいい。震災当時,燃え上がる長田の街の映像などが映されたことに影響され,救援の手が阪神間や神戸市東部を素通りしていったことも,想起しなければならないだろう。

多くの犠牲者を出したことを示す慰霊碑のひとつが,魚崎小学校に隣接する,福祉コミュニティー施設・魚崎わかばサロンの庭にある。この魚崎地区の犠牲者は200人以上で,その名を慰霊碑に刻んでいる。ここが第2番目の目的地だ。出発から約13km走っている。


魚崎わかばサロン内の慰霊碑

また,この慰霊碑は,第2次大戦中に魚崎国民学校児童が疎開した縁で交流がうまれ,震災翌日に救援物資をトラックで10時間かけて届けた鳥取県江府町との交流を示すものでもあるという。
(姉妹盟約 魚崎町協議会(神戸市東灘区)鳥取・江府との絆 後世に 2005/01/06 神戸新聞)


慰霊に向かう 参加者 (左),幼稚園児 (右),西灘公園内の慰霊碑 (右下)

メモリアルサイクリング参加者一行が,庭へ通してもらったのと相前後して,隣接する幼稚園の園児が,教師の引率のもと慰霊に訪れていた。その姿と態度から,小さな子どもたちに震災がしっかりと教えられ伝えられていることを,感じさせられた。

西灘公園

メモリアルサイクリングの後半は,阪神電車にほぼそう形で西へと向かう。高架ばかりの線路を走る電車に乗っていてはあまり感じないが,このあたりは,小さな川でも堤防が高いところが少なくなく,川底が周辺の地面より高い天井川もある。神戸の市街地を東西に走る分には坂の上り下りはほとんどないと思いがちだが,こうした堤防のたびに上り下りがある。そのたびに水害が多い地域であることを想起させられ,それだけ犠牲者をたびたび出してきたことにも思いを致さねばならないと思う。

魚崎〜大石の5駅分ほど走って西灘公園に。公園の一角に花が飾られた黒御影石の慰霊碑がある。ここに刻まれた犠牲者の数は113人という。ここでも黙祷・合掌。

西灘小学校

西灘公園を抜けて坂を登ると程なく西灘小学校が見えてくる。その道沿いには,犠牲になった児童を偲ぶ「アッコちゃんの時計」がある。その子どもも生きていれば,生き残った同級生らとともに,今は20代後半になっていよう。その下にある「あの子は天使です」という犠牲児童の母の言葉が刻まれたプレートの前で黙祷。


西灘小学校「アッコちゃんの時計」プレート (上)
常光院・押絵千体地蔵 (右)

常光院

往路に通った国道2号線の山側を通る旧西国街道を西へ走り,春日野道商店街を抜け,この日最後の目的地である常光院へ。本堂に上がって合掌するのはご本尊の観世音菩薩というのが普通だが,ここではそれだけでなく,押絵千体地蔵に手を合わせる。


常光院前にて (上),
常光院・押絵千体地蔵の中心部 (左)

これは,2m×1.8mの板面に押絵でつくられた1000体の地蔵が座しているもので,その表情も穏やかなものから憂いをたたえたものまでさまざまで,衣も2つとして同じものはないという。制作中に被災した作者・小西松甫さんが避難生活にあって,制作中の地蔵を鎮魂の地蔵として,弟子とともに完成させて奉納した。種智院大学名誉教授で高野山大学でも教鞭を執った山崎泰廣(ヤマサキ・タイコウ)住職から押絵千体地蔵の由来や弘法大師空海についての話を聞く。しばし眺めてののち合掌して撮影。

ゴール,そして…

新生田川を南下し,東遊園地に戻って来たのは,ほぼ予定通りの12時半過ぎであった。私の自転車につけているメーターでは,今回のメモリアルサイクリングの走行距離は20数kmということになる。さほど速いペースで走ったわけでなく,都賀川沿いの神戸大学にいたる坂道以外にはさしてきつい箇所はなかったと言っていい。

ゴールに際しても,出発時同様何人かの新聞記者の姿があった。以前,神戸・週末ボランティア復興住宅訪問活動に取材にやってきて以来,こうべiウォークなどでも顔をあわせた産経新聞の写真記者がいたので,訪問活動の記事はどうなったかと聞いてみたところ,目下準備中とのことであったが,翌17日にやっと掲載された。この記者が撮影した写真は,締切の都合であろうか,出発時のものが同16日の紙面に掲載された。

薄れる記憶踏み固め 1・17震災メモリアルサイクリング 2009/01/16産経関西

ほかにも朝日新聞と神戸新聞の記者が参加者に取材して,ゴール後の感想やコメントを求めていた。両紙とも会員以外の参加者のコメントがほしかったようで,朝日新聞の記者は年配男性に取材していたが,結局翌日付の地方面のベタ記事には,メモリアルサイクリングが行われたことが報じられただけで,コメントまでは出ていなかった。

また,車でメモリアルサイクリングに一部同行(伴走?)していた神戸新聞記者が,私に感想を求めてきたので,今まで見落とし通り過ぎてきたところに思いを致し,犠牲者に慰霊して,原点に立ち返って震災と「1.17」に向かう気持ちを新たにしたといったことを答えておいた。翌日朝刊の地方版記事に紹介されたが,その記事の見出しが「メモリアルサイクリング あの日思い16キロ走る」と,実際より約10km少なくされていた。

震災記念碑めぐりの写真 (参加された森脇様が神戸市民自転車同好会に提供されたもの)

1.17震災メモリアルサイクリング 神戸の壁絵図展と集い 賀川豊彦の文学 HARA Hideki's Blog

これまでのメモリアルサイクリング

(事前報道およびプレスリリースされた予定コース)

2003年1月17日 第1回

激震地巡り追悼 17日にメモリアルサイクリング 2003/01/10 神戸新聞

午前九時,神戸・三宮の復興支援館(フェニックスプラザ)跡前を出発し,慰霊碑のある西灘公園(灘区),中之町公園(東灘区)のほか,県などが「追悼のつどい」を開く神戸東部新都心などを巡り,「慰霊と復興のモニュメント」がある三宮の東遊園地にゴールする。全行程は約三十五キロ。

2006年1月17日

集合:8時30分,神戸市中央区東遊園地:本部テント横。出発:午前9時
コース:東遊園地→常光院/押絵千体地蔵→西灘公園/慰霊碑→西灘小学校/時計→魚崎わかばサロン/慰霊碑→求女塚東公園/慰霊碑→中之町公園/慰霊碑→弓弦羽神社/慰霊之碑→ゴール(東遊園地,午後12時)

2007年1月16日

集合:午前9時。出発:午前9時30分
コース:東遊園地→新港町/被災した「橋脚」→神戸港震災メモリアルパーク/メリケン波止場→久遠寺/慰霊碑→阿弥陀寺/同入圓寂石碑→大輪田橋/戦災・震災モニュメント→御崎八幡神社/折れた鳥居の記念碑→薬仙寺/大輪田橋の石材のモニュメント→満福寺/慰霊之碑→カトリック鷹取教会/キリスト像など→大黒公園/クスノキのたもとで→日吉町ポケットパーク/あわせの地蔵→長田神社馬場先鳥居/石碑「記憶」→六番町/観音菩薩像→御蔵北公園/被災電信柱・慰霊碑「鎮魂」→ゴール(新開地・妙法華院前,12時頃)

2008年1月16日

集合:午前8時30分,東遊園地(神戸市役所南隣)「慰霊と復興のモニュメント」。 出発:午前9時
コース:東遊園地→常光院→西灘小学校→西灘公園→求女塚東公園→魚崎わかばサロン→中之町公園→神戸大学海事学部(旧商船大学)→ゴール(東遊園地,午後0時30分頃)

(2009.2.4)

Bicycle-つれづれなること:

SEO [PR] J[hr AEx o^C av[g^T[o[ Cu`bg SEO