My Neighbourhood

私の近所で目にしたものを集めてみました。

新世紀のはじめに
がんばる!
シュール
クリスマス・ツリー
消えゆくもの
最大の消えゆくもの
早稲田大学第一・第二学生会館
ショーウィンドー
注意されなくても…
黒猫

年の瀬
廃線跡をゆく
断ち切られた「民主主義への道」


新世紀のはじめに(2001.1.1)

Happy New Century & Year!

世紀の変わり目でもあった,2000年から2001年の間の年末年始,私は自宅近くで過ごした。

新世紀を迎えたサンシャイン60
新世紀を迎えたサンシャイン60(2001.1.1)

年の変わり目にはいつもサンシャイン60では花火が打ち上げられる。池袋周辺の「行く年・来る年」だ。新世紀を迎えたはじめの1時間あまり,サンシャイン60の南側の窓にはこのようなメッセージが。

法明寺鬼子母神堂
法明寺(左)と鬼子母神堂(右)(2001.1.1)

花火とメッセージのもと,除夜の鐘をつく順番を待って,多くの住民が早くから並ぶ。桜並木が満開の時の写真はbicycleのページへ。

これと並行して初詣も始まる。10月中旬の御会式には各地から多くの人が集まる鬼子母神堂だが,この時は地元の人たちのものだ。これが雑司ヶ谷の年越し風景だ。

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がんばる!

未来劇場アトリエ
漫画家・水森亜土が主宰する劇団未来劇場のアトリエ。(97.9.21)
ここで公演が行われるときにはこのように提灯が灯される,近隣住民だと特典もある。


未来劇場アトリエ水森亜土がが描いたシャッターの絵
シャッターには彼女が描いた絵も。(97.5.25)

未来劇場のアトリエ鬼子母神での最終公演
未来劇場のアトリエ鬼子母神での最終公演ポスター
アトリエ鬼子母神での公演は2003年9月が最後となり,未来劇場は中野・紅葉山公園下の新稽古場に移転した。


雑二ストアー
雑二ストアー(2000.11)

近隣住民の胃袋を満たす上で欠かせない存在なのがこの「雑二(ぞうに)ストアー」。'99年秋,出火。翌朝の惨状は,かの阪神・淡路大震災の菅原市場を連想させるほどであった。しかもその時は年に一度の「お会式」の日であった。同じ町会の近所の人たちは祭り装束で後かたづけをしていた。消失した部分は再建されないままだが,焼け残った店舗で営業再開して,以前にも増してがんばっている。

都電鬼子母神前停留所前の焼鳥店
都電鬼子母神前停留所前の焼鳥店 (2001.3.15)

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シュール

獣医院の看板
犬の首輪が骨になっている,獣医院の看板 (2001.5.25)

蝶ネクタイのようにも,注射器のようにも見えるところが,何ともいえない味を出している。

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クリスマス・ツリー

雑司ヶ谷キリスト教会・幼稚園のクリスマス・ツリー
雑司ヶ谷キリスト教会・幼稚園のクリスマス・ツリー (2002.12.25)

近頃ではクリスマスが近づくと自分のうちに電飾を施す家が増え,私が住むところでも例外ではない。だが近所で最大にして元祖となるものが,この雑司ヶ谷キリスト教会・幼稚園のクリスマス・ツリーだ。毎年師走が近づくと卒園生の鳶職人により飾り付けがなされる。

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消えゆくもの

廃業した銭湯・若葉湯若葉湯廃業のお知らせ
廃業した銭湯・若葉湯(1997.5)

都電荒川線鬼子母神前停留所からすぐの所にあった銭湯。経営者の体力的限界が廃業の理由。湯加減も良くゆったりとしたつくりで,ユニットバスでは伸ばせない足を伸ばすのに良かったのだが。廃業後間もなく取り壊され,駐車場になった。

新江戸川公園に近くのポリスボックス故田中角栄邸前のポリスボックス
ポリスボックス(2001.1.1 & 6.2)

文京区目白台の故田中角栄邸の近くにはいつも多くの警察官がいて,通行人にもにらみをきかしていた。大学の帰りにいつも通っていた自分にも然りであったし,検問も多かった。このようなポリスボックスも近辺に幾つもあった。だが田中角栄が倒れて以降,警官の数も,こうしたボックスも減り,田中角栄の死以降,ついには新江戸川公園に近いこの一つだけになった。栄枯盛衰を象徴している。(左)

ところが,田中角栄の娘・真紀子が外相になった途端,警官とポリスボックスが増えた。とはいうものの往時には及ばなかった。それも外相辞任・衆院議員辞任で段階的に消えていった。(右)

神田川近くの長屋
神田川近くの長屋 (豊島区高田 2003.3.10)

都電早稲田停留所近くの神田川近くの一角にはこうした長屋がいくつもあったが,この数年でかなりの割合で解体され,新たな建物になっている。3棟ある中で右端が大きく傾いているのだが,他の棟につなぎ合わせて,今なおその場にあり続けている。引きずられているようにも見えるが,踏ん張りというか執念すら感じさせるものがある。少なくとも私が知る限りでも十数年この状態のままだ。ピサの斜塔ならぬ高田の斜塔というべきか。もっとも住人にとっては斜塔ではなくシャトーなのだろう。

解体されようとしている神田川近くの長屋
解体されようとしている神田川近くの長屋 (豊島区高田 2007.7.5)

この神田川近くのシャトーに終焉の時が来た。ほぼ向かいにある2004年末の火事の焼け跡ともに,消えようとしている。

解体されようとしている神田川近くの長屋の内部解体されようとしている神田川近くの長屋の内部
解体されようとしている神田川近くの長屋の内部 (豊島区高田 2007.7.5)

住人が去った後のシャトーの内部を奇しくも垣間見ることができた。この掘り炬燵での団欒は安らぎをもたらしたのだろうか…

年末の火事で焼失した神田川近くの住宅兼店舗年末の火事で焼失した神田川近くの住宅兼店舗
年末の火事で焼失した神田川近くの住宅兼店舗 (豊島区高田 2005.1.1)

2004年12月28日,神田川近くの住宅兼店舗で火災が発生,事実上棟続きの長屋状になっている4世帯分が焼失した。焼け跡の焦げ臭い臭いが残るなか,大晦日の雪に見舞われ後かたづけも大変。木造ながらモルタルで石やコンクリート造りのようなデザインが施されていた。

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最大の消えゆくもの

私の近所で消えゆこうとしている最大のものは,この地域そのものであった。
明治通りのバイパス道路をつくる計画自体は以前からあったのだが,あろうことにか,かの阪神・淡路大震災の起こった95年以降“防災”を口実に,なし崩し的に加速され,しかもバブル崩壊以降下落しつつある地価で,永年住み慣れた地を,東京都に買いたたかれた格好になった。雑司ヶ谷地域でも,雑司が谷2・3丁目境界付近,都電荒川線に沿った一帯を中心とした地域コミュニティーは,一気に崩壊させられつつある。

道路予定地各所で見られる「事業予定地」の看板
道路予定地各所で見られる「事業予定地」の看板 (2001.1.19)

都電鬼子母神前停留所付近都電鬼子母神前停留所付近
都電鬼子母神前停留所付近 (2001.3.15, 2003.3.10)

ついこの間まで営業していた刃物屋があっという間に解体されてしまった。道路とあわせて地下鉄新線の工事も並行して行われており,この場所は新駅予定地でもある。

道路予定地道路予定地
一足早く解体されたところは空き地に。その他のものも近く消される運命に。(2001.1.19 & 3.16)

右は,2000年末,年賀はがきの早期投函を呼びかける,郵政省のTVCMに映った場所。

雑司ヶ谷の井戸
雑司ヶ谷の井戸 (2003.3.10)

雑司ヶ谷界隈にはたくさんの現役で使われている井戸がある。
この界隈の変化をどのように見つめているのだろうか。

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早稲田大学第一・第二学生会館

最近では学生専用マンションのことを「学生会館」ということもあるが,ここでいうのは,永らく早稲田大学の学生自治文化活動の拠点となってきたもののことだ。1990年代後半に入って早大当局は,学生自治会の公認を取消したり,毎年延べ十万人もの来場者があった早稲田祭を中止させたりするなど,学生の自主的・自治的活動に対する敵対的姿勢をあらわにしてきた。今回も学生がいなくなる夏休みを狙って,7月末,両学生会館の閉鎖を強行した。

早稲田大学第一学生会館
早稲田大学第一学生会館(2001.7.10)

永年にわたり,さまざまな活動の拠点として利用されてきたのがこの第一学生会館である。
時々の世相を撃つスロ−ガンが書かれたステッカーも貼られていた。

早稲田大学第二学生会館
早稲田大学第二学生会館(2001.7.10)

69年の第二次早大闘争の課題の1つは,当時竣工したこの第二学生会館の管理権を学生側に勝ち取ることであった。これに対する早大当局の鎮圧策は熾烈で,それまで門がなくいつでも自由に出入りできるといわれた早大キャンパスに,最近では一定緩和されつつも今なお継続しているところの,休日・夜間のロックアウトが始まり,第二学生会館は十年以上閉鎖されたままであった。

封鎖された第一学生会館 稲毛屋コーヒー券
封鎖された第一学生会館(2001.8.10),第二学生会館地下・稲毛屋のコーヒー券

7月末で両学生会館の閉鎖が強行された際,夜を徹しての反対集会が開かれ,久々に早大学生運動がマスコミに紹介された。8月に入っても反対運動が続いたことから,当局は両学生会館を工事用バリケードで封鎖した。

第二学生会館の地下には稲毛屋という食堂があり,壁には前衛的な絵が描かれていた。これを撮影しておかなかったのは痛恨の極みである。代わりに同店のコーヒーサービス券を載せておく。

第二学生会館から西早稲田キャンパスを望む
第二学生会館から西早稲田キャンパスを望む(2001.7.10)

第二学生会館の上層階が開放されたのは90年代に入ってからではないだろうか。手前が昔の面影を残しているのに対して,画面後方の高層建築物は,バブル期以降の変貌を示している。手前左の緑屋根の建物は旧図書館。安部球場跡に現在の中央図書館ができるまで,これが早大のメインライブラリーだった。今では信じられないかも知れないが,当時,学部学生用閲覧室には冷房がなかった。

Gronud Zero

2001年9月11日の攻撃事件によって崩壊したニューヨーク・世界貿易センタービルの跡地は“Ground Zero”と呼ばれている。第一学生会館跡地もまた“Ground Zero”の様相を呈している。

第一学生会館跡地第二学生会館跡地
第一学生会館跡地(2002.10.2)と第二学生会館跡地(2003.3.10)

同時期に閉鎖強行された第一・第二の両学生会館だが,第二学館の解体が始まったのが2002年の夏になってからであったのに対し,第一学館は閉鎖からまもなく解体された。これが物理的理由によるものでなく,早大当局による政治的意図に基づくものであることは,今更説明する必要もないことであろう。

8号館跡地もう一つの早稲田版“Ground Zero”
8号館跡地(2002.10.2)

永らく法学部棟として使われてきた8号館は2002年度に入って解体が始まり,夏には更地になった。いわばもう一つの早稲田版“Ground Zero”だ。このあとに建つ建物はバブルの亡霊であり早大再編のシンボルといえるだろう。

ここでも…

解体される東京音大校舎
解体される東京音大校舎 (2004.9)

大学再編やキャンパスの再開発に伴い,キャンパスも様変わりしつつある。解体されるのは単に旧くなったとか手狭になったとか言うものだけではなく,学生の既得権を伴うことが多い。2004年では法政大学学生会館の解体強行がその最たる例であるといえよう。早大・法大ほどではないが,私の近所にある東京音楽大学でも同様のことが進んでいた。ここで解体されつつある建物には学生の自主活動や福利厚生のための施設が入っていた。

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ショーウィンドー

石萬石材店
ある石材店(2002.5.2)

地下鉄江戸川橋駅近くの文京区小日向にある。古い建物だが丁寧に使われ,ガラスもピカピカに磨き上げられている。墓石のショーウィンドーになっているのだ。

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注意されなくても…

坂下の注意書き
坂下の注意書き (2003.3.10)

田中邸下(南側)のポリスボックスのすぐ北側は急坂になっており,永青文庫・和敬塾附近を抜けて目白通りに出られる。その坂下側にはこうした注意書きがある。わざわざ注意などされなくとも,この急坂を徐行せずに上がることは殆ど不可能に近いのだが……。坂の上にはこうしたものはいっさいない。

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黒猫

東(あずま)通りの黒猫
東(あずま)通りの黒猫 (2003.9)

東池袋の東通りには,誰が書いたか知れない黒猫がいる。妙なリアリティーがあるだけでなく,時として周囲の情況をも引き込んで同化させる力すら持っているようだ。南池袋から雑司ヶ谷にかけて,こうした黒猫がさらに増えつつある。

南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫

南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫
南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫 (2003.12, 2004.1, 9)

その後残念ながら,風雨にさらされ,あるいは風雅を解せぬ何者かによって消された黒猫たちもいるが,一方で新たな仲間も増えている。

南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫
同上 (2006.4)

黒猫が描かれていたコンクリート塀が解体されたため,近隣の古書店主が猫が描かれた部分を切り取って保存している。

南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫南池袋から雑司ヶ谷にかけての黒猫
新たに描かれたであろう猫(左)と,切り取られて残された猫(右) (2006.1-4)

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顔に見える石 (2004.11)

雑司ヶ谷1丁目の路地裏にある民家の前にはこのような石が。路地とはいえ角に面していることから,車よけなのだろう。この家の暢気な番犬といったところか。たれぱんだ的緩みと癒しをもたらしてくれそうな表情に見える。

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年の瀬

三朝庵の融通そば
三朝庵の融通そば (2003.12)

年の瀬の早稲田を早大生はあまり経験しない。他大学より一足早く12月半ばに年内の講義が終わり(ちなみにこれは,第1次・第2次早大闘争をはじめとする早大学生運動において,年末年始がいわば準備期間として,闘争拡大の温床となったことを,早大当局が教訓化して,予防弾圧的に行ってきたものでもある),卒論の提出期限もすぎると,学生の姿は少なくなる。早稲田の街が静かになったのもつかの間,冬至の日になると「一陽来復」をねがう穴八幡宮への参拝者が押し寄せる。それにあわせて,馬場下町交差点の三朝庵では縁起物の融通そばを出す。これを楽しみに毎年やってくる人も。

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廃線跡をゆく

軌道をあしらった花壇
軌道をあしらった花壇 (2003.9)

東京都豊島区といえば,「放置自転車等対策税」・「ワンルームマンション税」という2つの「新税構想」で,その愚政ぶりが一躍全国に知られるところとなった。その豊島区はこれよりややおくれて,池袋東口からのびるグリーン大通り(日の出通り)に1km余りのLRTを走らせる構想なるものをブチあげた。この人気取りにもならない思いつき的構想のため,歩道の花壇のいくつかを軌道をあしらった模様にした。だがこれもやがて夏草の中に埋もれていった。愚政の行く末を象徴するかのように。

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断ち切られた「民主主義への道」

豊島区立雑司が谷図書館から廃棄された書籍
公共図書館から廃棄された書籍(2002.4)

図書館が本を捨てることについては,意外と知られていないが,実は大概の図書館で日常的に行われている。破損したり重複したものや,保存期限を過ぎた新聞・雑誌などがその対象になる。だがある日,近所の図書館の一つである,豊島区立雑司が谷図書館でこうした本が廃棄されようとしているのを見つけた。破れも汚れも全くない。何らかの政治的意図で廃棄されようとしているのではと疑いたくなる。『民主主義への道』と題されたこの本は,中学生を対象に歴史的な観点から広範な視野で民主主義について説いたものだ。ベトナム戦争などが,地方自治と共に今日の課題として述べられているところに,1973年初版という時代を感じさせるものがある。その一方で沖縄など,同書が採り上げている内容は,今日も依然として問題であり続けているものも多い。現代の課題を課題として受け止める機会を,こうした書籍の廃棄によって,奪われることとなった。

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