熊本、日本、そしてアジア
〈書評〉上村希美雄著『宮崎兄弟伝』アジア篇(中)

1997.4

 『宮崎兄弟伝』はこれまで3巻が出ているが,今回は実に9年ぶりの続編である。

 著者は,処女出版『民権と国権のはざま』(葦書房,1976年)において,明治初期を草莽の者たちが成立途上の新国家と一体感を持った時代ととらえ,西南戦争以降の上からの近代化・資本主義化の過程で,その路線にそぐわぬ一切の可能性を抹殺していったところから,民権と国権とは乖離したとする視点を確立した。同時に明治の熊本に生きた特徴ある人物を活写することを通じて,熊本史を日本史の中に位置付けていくことを目指した。この二点が歴史家としての著者の原点であるといっていい。前者に関していえば,ときの権力者・為政者と別個の国家像・イメージを抱くことを許さず,さらには異なった社会観をもつことをも強力に阻んでいったわけである。最近「自由主義史観」なる名のもと,こうしたものの延長上にある現在の日本国家,即ち,日清・日露の両戦争を経て,十五年戦争でその頂点に達し,アジア各地への多大な犠牲を強いた挙げ句に敗戦とともに破綻とするという帰結をみ,この一連の過程を自ら顧みることなく,さらには今日,新植民地主義的経済侵略を続けているところのものに対して,無批判に誇りを持たせることを意図する部分が存在する中,かかる抹殺された存在と思想を想起してみることは−−もちろん一定の限界を持ったものであることを踏まえねばならないが−−今日の重要な課題への有効なアプローチの一つであろう。また後者に即していえば,この熊本の地に生まれ育った人の意識の中では,東京の藩閥専制政権と比べても,意外と中国大陸が近いものであることをうかがい知ることができる。これは,永年熊本の地に在って研究を続けてきた著者ならではの成せるわざであろう。これを通じて,宮崎兄弟の思想形成の基盤を読み取れるのである。

 著者と宮崎兄弟との出会いは,図書館勤務時代に原史料に触れる機会をもったことによるという。以来今日まで取り組み続け,まさにライフ・ワークとなっている。

  既に日本篇で,ルソーに感銘をうけ,これを現実化することをめざして,熊本協同隊を組織して馳せ参じた西南戦争で,若い生命を散らせた八郎,自ら中国人になりきろうとしながらも,中国渡航の夢を果たす寸前で病魔に倒れた弥蔵の短くも儚い生涯を,愛情をこめて描きだした。

 本巻を通読してまず気づくことは,既刊三篇にまさる密度の高さであろう。これは最近の研究成果を取り入れているというだけでなく,何よりも,民蔵が土地復権同志会をおこし“地方伝道”で廻った,三多摩・山梨・信州など各地の足跡を,長期間にわたって著者が自ら跡付けたことによろう。しかも単なる無味乾燥な資料集成に陥るのではなく,これを通して,孫文の民生主義に影響を与えた人物でありながらも,一般には弟・寅蔵(滔天)よりも地味な印象を持たれている民蔵の人となりとその活動を,読者にリアルに伝えてくれるのである。本編の中でもっとも高いウェイトを占めるのがこの民蔵の足跡であり,それに次ぐのが1905(明治38)年の中国同盟会成立前後の中国革命運動の情況である。これはいうまでもなく,中国近代史上,その思想面でも行動面でも,大きなうねりの焦点となるものであり,その中で若い革命家たちは,排満ナショナリズムにとどまらず,反帝国主義へとその視野を拡大・深化し,同時に社会変革のヴィジョンが様々な形で求められるようになった。一方,こうした混沌の中に多様性を持った一時期は,同時に必然的にその内部に対立と分裂を引き起こす。これは日本の初期社会主義者も同様であり,互いの接点もこうした模索の中からつくられていった。このような中で生まれた日中革命運動の交流をも射程に入れて描いているのである。

 このようにみてゆくと,かつて自らを「文学青年」と規定した著者が,これら一連の『宮崎兄弟伝』を書き進めてゆく中で,歴史家としての視野を広く確かなものとしていった−−こうしてアジア史の中への位置付けもなされていった−−足跡がうかがえよう。それはまさに,宮崎四兄弟とともに歩んだ軌跡である。

 かくしてクライマックスに差しかかろうとしているわけだが,それだけに次への期待は高まる。清朝打倒・民国建国の成功と挫折という劇的転回をたどった辛亥革命期の中国と同時期の日本では,大逆事件が起こり,その後の「冬の時代」へと続く。このことが,中国革命運動と日本の初期社会主義者との交流に対して,決定的打撃を与えたことは今更いうまでもない。新人会発起人の一人である息子・龍介の求めに応じて,第二・第三革命に奔走した黄興の旧邸を提供し,初期新人会のみならず黎明期の日本学生運動史上の梁山泊を与えるという形で,新たな時代との接点を持った寅蔵,そして四兄弟中最後まで生き,孫文の最晩年まで親交を持ちながらも,自らの生涯をかけた理想が時の日中関係の中で歪められるのを見つつ最期を迎える民蔵。こうした激動の時代を生き,否定的情況の中でもその絆を保ち続け,次の世代への想いをそれぞれに抱きつつ,やがて相次いでそれぞれの最期をむかえることになる二人を如何に活写していくかが楽しみである。

  (葦書房,1996年3月,B6判,545頁,4000円+税)

宮崎兄弟生家;荒尾市立宮崎兄弟資料館


追記 & 関連情報

 これは,初期社会主義研究会編『初期社会主義研究』第10号(1997年9月,不二出版)に掲載されたものです。今見直すとかなり稚拙な部分も目に付きますが,敢えてここにそのまま再録しました。その後『宮崎兄弟伝』アジア篇(下)も出版され,これについては,新聞や学術雑誌で何編かの書評が出ています。とはいうものの,まだ辛亥革命前後の時期までで,宮崎民蔵・滔天の最晩年にはまだ至っていないという,壮大なスケールのものです。完結はまだ先のことでしょうが,期待したいjものです。

  著者・上村氏は,2000年6月から9月にかけて『熊本日日新聞』夕刊に,『竜のごとく』を連載し,宮崎兄弟の足跡を描いていました。2001年9月これをまとめた『竜のごとく』が葦書房から出版されました。

 宮崎4兄弟(八郎・民蔵・弥蔵・寅蔵[滔天])生家の場所が資料館になっています。上の写真がそれです。

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