2003年の「1.17」

今年も1/17及びその前後に多くの方にお会いできました。
私は青春18きっぷ最終日である20日まで神戸に滞在しました。

(0)プロローグ

16日の晩に,ある「神戸・週末ボランティア」メンバーと梅田で待ち合わせて三宮に向かおうとしたら,大阪環状線が人身事故で大幅に遅れているとのことで,地下鉄を経由していきました。連日関西の鉄道では,人身事故(早い話が飛び込み自殺)のため,どこかで列車に遅れがでているとのこと。関西の不景気の深刻さを改めて思い知らされました。かつて問題になった仮設住宅での「孤独死」と同様,これもまた絶望から自ら選んだ死というべきでしょう。

(1)再会と慰霊

降り立った三宮センター街東側入り口付近は,フェニックスプラザ(阪神・淡路大震災復興支援館)が解体され,白い仮囲いがある商業ビルの建設現場となっていることが,景観上大きな違いでした。震災それ自体だけでなく,その後の復興過程をも,その問題点とともに消し去ってしまおうという,当局の姿勢の反映に思われました。

その前に,例年より少なく,1つだけとなったテントで慰霊のロウソクをともし,被災者への公的支援を求める取り組みを続けてきた被災者の方々,東は東京・名古屋,西は九州からやってきた仲間との再会&出会いの一時を持ちました。さすがにその場で徹夜するわけには行かず,早朝再び集まり集会を持ちました。中山茂さんの司会で,何人かの週ボラメンバーも発言した後,永田雅人君のカウントダウンで5時46分,一同で黙祷しました。

(2)ちょっとカー

17日昼はベルデ名谷のちょっとカーを見に行きました。当日はNHKの取材で,本来昼間に行っているちょっとカーを早朝に運転したため,運転手の黄さんはかなり疲れていて,一緒に行ったメンバーで運転を代わって手伝いました。運転免許を持っていない私は,発着時の交通誘導や乗降・手荷物の上げ下ろししかできませんでしたが,皆で行ったことで,通常の訪問活動とは違ったところから,住民の方々の日常をヨリ知ることができました。

また,東京に帰る直前の20日昼にも立ち寄りました。このときは子どもたちに風船を配ったりもしていました。ちょっとカーを利用するしないに関わらず,通っていくすべての方に声をかけ,笑顔を欠かすことなく会話するメンバーの姿が印象的でした。

(3)人と防災未来センター

続いて灘区のHAT神戸へ移動,ここも以前週ボラで訪問したところですが,今回行ったのはその西側にある「人と防災未来センター」でした。三宮のフェニックスプラザの復興支援と震災に関する記録などの機能を移し,映像などで震災を追体験させようというもののようです。

JR灘・阪神岩屋駅から南側に行った海岸に近いところにあります。両者の間に県立美術館もありますが,こうした潮風のあたる場所に美術品を保管して大丈夫なのかと,ふと思いました。それにもまして終バスが15:30というのも,理解に苦しみます。メモリアルウォークの終着点らしく,イヴェントが行われた様子が分かりましたが,私たちが行ったのはそれらが終わった後,あまりに早い終バスと同じ頃でした。

入るとまず映像と振動で震災を追体験できるシアターに,続いて震災直後の建物が崩れた,まだ暗い街を再現したコーナーに案内されます。それなりに“迫力”のあるものですが,実際に震災を体験したひとには,つらいものがあるでしょう。震災直後の写真やビデオ,関連すす収集資料など,じっくり見れば1日では足りないほどでした。

この日は入場無料でしたが,普段は大人500円というのには疑問を覚えました。金額はともかく,有料にすること自体,交通便利な三宮から不便なこの場所に機能移転したことと相まって,人々から震災の記憶を遠ざける働きをしているように思われます。

(4)討論集会「ボランティア8年から見えたもの」

今年の「神戸・週末ボランティア(週ボラ)」の「1.17メモリアル行事」は,翌18日に湊川神社北側のあすてっぷ神戸で開かれたこの討論集会でした。週ボラの常連メンバー,以前よく来ていたメンバーら十数名が参加しました。また,終了後も席を改めて,新たに加わった仲間も交え,議論と親睦を深めました。

この討論集会では,いくつかのテーマが予定されていましたが,現下の情勢からして,深刻化しつつある復興住宅における家賃滞納の増加,住民間の意識面の対立についての報告や議論が集中しました。これについては,政策提言もさることながら,まずは“外”からの視点・立場を最大限活用し,住民間の対立・相剋を乗り越え,分断を許さない姿勢で臨むこと,またそのために何をなすべきかを考えることが重要であることを感じました。

このほかにも,これまでの訪問活動の意義を確認し,これからの活動のあり方を展望する発言が続きました。そこで,気になったことを一つあげるならば,「お話うかがい」を原点とする週ボラの活動の中で,他者の発した言葉を,フレーズや単語のレヴェルでとらえることに終始し,どのようなコンテクスト(文脈)の中で理解しようという姿勢が今ひとつ希薄であったことでしょう。

(5)追伸1;「同時多発行動」

実は当初,この討論集会を途中で切りあげて,米帝による戦争強行に反対する「同時多発行動」に参加しようと思っていたのですが,議論の成りゆきからして,最後までとどまりました。

(6)追伸2;アフガニスタン国際戦犯民衆法廷大阪公聴会

19日は,大阪中之島の大阪市中央公会堂で行われた,アフガニスタン国際戦犯民衆法廷大阪公聴会に行きました。「民衆法廷」というものを知ったのは,大学受験(公会堂の隣の大阪市立中之島図書館で勉強していた)のとき,英語の勉強のためにバートランド・ラッセルの著作を読んでからでした。ヴェトナム反戦や,アジア・太平洋戦争での日本の戦争犯罪を検証する運動として行われたものがあることも知っていましたが,こうしたものに実際に参加したのは,これが初めてでした。

これまでに行われた侵略戦争の戦争犯罪を検証するためのそれがさらに進められ,それが新たな戦争の抑止力となるよう,また新たな「民衆法廷」をつくらなくてもいいよう,市民の力と叡智を集めたいものです。

戦争被害調査団の報告や映像などで,先のアフガニスタンへの空爆攻撃の実態を伝え,今まさに強行されようとしている,米帝によるイラク侵攻を阻止してゆくべく市民の力を作り出そうというものでした。終了後のエスニック料理を囲んでの懇親会でも,多くの方から貴重なお話をうかがえました。

ところが会場となった公会堂の外の中之島公園では,炊き出しを待つホームレスの人たちの長い列と,彼らが雨露をしのぐ多くのブルーシートがありました。戦火や政治的迫害を逃れて国外に脱出した人も,震災で住み慣れた地を離れて仮設住宅に入った被災者も,こうしたホームレスの人たちも,いずれも「難民」と呼ぶべき存在であるという点で共通しているでしょう。

2003.1.24

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