閉園

1

さる3月30日で,甲子園阪神パークが閉園しました。

残念ながら行くことはできませんでした。

また,甲子園に行ったのも,何年か前に母校が選抜出場したときが最後でした。 週ボラ参加者の中にも遊びに行ったことのある方は多いでしょう。 なかには親子2代,3代と続けて,家族の思い出の地としている方も多いでしょう。 私も世界でここだけしかいない「珍獣」レオポンを見た記憶がありますし,造波プールで泳いだ記憶もあります。

狭い敷地を高速で走り回るジェットコースター(名称失念)は,エキスポランドのダイダラザウルスや奈良ドリームランドを初めとして瞬く間に全国に広がった宙返りコースターとは,また違った趣きがありました。

むしろ東京ディズニーランドのロングランアトラクションであるスプラッシュマウンテンに近い雰囲気を持っていますね。

2

閉園といえば,4月7日には宝塚ファミリーランドも閉園とのことです。

こちらにも想い出のある方も多いことでしょう。

かくいう私も,阪神パークよりもこちらの方に行った回数の方が多いのです。

こちらは市民やファンの間で存続要求運動が続いていましたが,宝塚市当局がこれを黙殺する形で,阪急電鉄側に押し切られ,いわば閉園強行ということになったようです。

ファミリーランドは毎年夏になると,水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」の納涼アトラクションが定番で,阪急梅田駅のコンコースにも,その雰囲気を伝えるデコレーションがおかれました。

宝塚ファミリーランドがなくなった後,これからの夏はどうやって「納涼」すればいいのでしょうか?

かつて手塚治虫氏も通ったという大温室・昆虫館など,震災で被害を受けた後再建されないまま,閉園になった施設が多いことも残念です。こういうのに限って地味ながら存在価値の高い,貴重なものであったりするものです。 貴重な施設といえば,宝塚歌劇の資料館や阪急電車の資料館も園内にあったのではなかったでしょうか?

宝塚ファミリーランドも甲子園阪神パーク同様,今日の感覚では敷地が狭い上,目新しいアトラクションが少なく,入園料も家族で行けば結構な値段になってしまうなど,魅力に乏しく割高感も拭えないといわれてきました。

東京ディズニーランド・ディズニーシーはともかくとして,ユニバーサルスタジオジャパンができたことで,これらが決定的になった(それを裏書きするかのように,USJの不祥事を契機に持ち直したりもした)とも言われますが,全国を見渡せば,地方都市はもちろん大都市部でも,これよりはるかに小規模でありながら,地元に密着して堅実経営のもと,入場者数をキープし続けているところは少なくありません。

今となってはもう遅すぎるのかもしれませんが,「夢」を売りものにしつつ,一方では地に足をつけた堅実な運営をすることが,大切であったというべきでしょう。

今日4月1日から最終日の7日までは入場料無料だそうです。( http://www.hankyu-as.co.jp/ )

阪急宝塚駅から通じる花の道や武庫川沿いも,そろそろ桜が満開になる頃でしょう。

こちらはまだ間に合うので,最後の記念に一度行ってみてはいかがでしょう。

2003年4月1日

2-2

先ほど,甲子園阪神パークや宝塚ファミリーランドが,「敷地が狭い上,目新しいアトラクションが少なく」と書きましたが,もちろんこれはテーマパークが台頭する1980年代以降のことであって,創設当初はもちろん,少なくとも70年代まではこれらも大規模で斬新なものであったといえるものです。

現在は,東京ディズニーランドが入場者数をのばす一方で,民事再生手続きに入る長崎ハウステンボスや,既に破綻した宮崎シーガイヤのように,経営不振に苦しむ地方の大規模テーマパークはもとより,都市部でもデパートの屋上遊園地が廃止・縮小傾向にあるなど,遊園地という「夢」の空間が,厳しい情況におかれているといわねばなりません。

阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道(株)が,宝塚本線と箕面支線を開業させた翌年である1911(明治44)年の5月1日に,宝塚新温泉の営業を開始しており,これが約92年の歴史の出発点とされているものです。従来温泉街であった武庫川右岸に対して「新」と称したものの,これまでにない斬新なものをつくる必要があり,そこで翌1912年「パラダイス」がつくられました。これが屋内施設ながら,宝塚におけるレジャー&アミューズメント施設の実質上の初めになります。

宝塚歌劇のもとになる唱歌隊(のちに宝塚少女歌劇団)ができたのが1913年ですから,早くも大正のうちに今日の原型ができていたことになります。もっともこの唱歌隊の初公演が行われた場所が,パラダイス内の廃止された室内プール(日本初といわれる)であったことからも,先進性を求めながらの試行錯誤と紆余曲折のあとがうかがえます。

現在のファミリーランドのような,近代的アトラクションを備えた屋外遊園地は,1924(大正13)年開設の宝塚ルナパークからということになります。「ルナパーク」は,夜間照明を持った近代的都市型遊園地のことです。アメリカ・コニーアイランドにつくられたものが最初で,日本でも東京・浅草公園六区と大阪・新世界に「ルナパーク」が,宝塚に先立ってつくられました。「月」を意味する「ルナ」がつくだけに,照明・電飾による華やかで幻想的な演出が,重要なファクターとされていたわけです。「ファミリーランド」(夜間開園はない)よりも「ルナパーク」といった方が,大人のムードを感じさせます。

「回転木馬」という訳語(今日ではもはや死語でしょうが)が当てられた「merry-go-round(米語ではcarouselともいう)」のように,今日遊園地で定番となっているものも,こうした遊園地から広まっていったといえるでしょう。事実上,動力を利用することがイコール「回る」ということになるだけに,飛行塔や回転ブランコもまた然りということでしょう。

こうした古典的定番の中でも観覧車は,今日も依然として拡大路線を続けています。高さと大きさの記録は絶えず塗り替えられ,とどまることを知りません。

今日の宝塚ファミリーランドでも,急流すべりを「日本最大級」とするなど,やはり「記録」は重要な「売り物」のようです。一方で,世界各地の民族衣装を着た数千の人形を,水上を走るゴンドラに乗ってみて回る大人形館のように,ここからの開発品・発明品といえるものもあって,これについては,インターナショナルなコンセプトを持った,いわば隠れたヒット作といえるでしょう(これとそっくりのものが東京ディズニーランドで見られますね)。

また,動物園としては日本で5番目という長い歴史をもつ,ファミリーランド内にある宝塚動植物園ですが,幸せを呼ぶというホワイトタイガーが,動物園のみならずファミリーランドの「顔」の一つとなっています。

こうした動物たちも閉園後,各地の動物園に引き取られてゆくことになっています。事情は甲子園阪神パークでも同様で,地元・兵庫県下に残るのはわずかで,日本各地はもちろん,さらには韓国・ソウルに行くものもいるとのことです。ほぼ一時期に一つの県内で2つの動物園がなくなるということは,ほとんど前例がないのではないでしょうか。

交通便利な場所で見られなくなるのは残念ですが,動物たちが新たな地で健康に暮らせることを祈りたいと思います。

2003年4月2日

3

閉園した遊園地といえば,何も関西ばかりではありません。関東でも,昨年閉園となった向ヶ丘遊園(川崎市)の場合,最寄りの小田急線の駅から遊園地に通じるモノレールがありましたが,その橋脚も撤去されつつあり,街の景観を変えています。また,すでに閉園されて久しい二子玉川園(東京都世田谷区)の場合,最寄り駅の名前も二子玉川と変わり,そこに遊園地があったことを人々に忘れさせようとしているかのようです。

宝塚ファミリーランドと同じく,阪急電鉄が一度は閉園方針を打ち出した神戸ポートピアランドが,一応存続することになったことは,皆さんご存じでしょう。

もちろんタダ存続すればいいというものではありません。これには「株式会社神戸市」が事実上多額の税金をつぎ込むわけで,決して歓迎できる存続方法とはいえないでしょう。

「山,海へゆく」という言葉が,神戸市の文書だけでなく社会科の教科書にも躍っていた時代がありました。この言葉は,ポートアイランド,さらには六甲アイランドといった人工島埋立てに使う土砂を,郊外の山林を切り崩して供給したために生まれたものでした。こうした土砂を運ぶために,ベルトコンベアが入ったトンネルまで掘られました。

土砂を採取されたあとは住宅地として開発され,造成などはバブル期まで続けられました。「週末ボランティア」で訪問した,神戸中心部から離れたところにある仮設住宅・復興住宅の場所も,こうして産み出されたのです。

こうした多大な利権を次々と産み出す開発行政の一つの到達点を象徴するのが,1981年のポートピア81でした。これは,人工島・ポートアイランドの完成を記念して行われたもので,ポートピアランドやホテルもこの時開業しました。

阪神淡路大震災の際,これらの人工島は液状化現象と交通機関の断絶に見まわれ,その後仮設住宅が造られ,郊外の山林を切り開いての場所においてと同様,多くの人々が不便な場所での避難生活を強いられたことは,記憶に新しいところでしょう。

現在は王子動物園でいつでも見られるようになったパンダですが,神戸で初めて見られるようになったのはこのポートピアでした。人気パビリオンとともに,パンダ舎にも行列ができました。またこの時開通した,新交通システム・ポートライナーは,無人運行を売り物にしていましたが,ポートピアの見物客が乗車定員を超えて無理に乗り込もうとしてダイヤが乱れたため,「有人化」されたこともありました。

今ではありそうにないエピソ−ドには事欠かないポートピアですが,ホテル・遊園地その他一部の施設は今日まで続いています。ポートピア閉幕後20年あまりの間,変化する時代情況とニーズに,これらはどれだけ対応してきたでしょうか?

遊園地が「夢」を生み出す空間とすれば,高度成長とバブル時代の「夢」を今なお見続け,これから覚めないための装置として,ポートピアランドが必要なのでしょうか。

建設が強行されつつある神戸空港が完成したら,入場者も増えるとでも言いたいのでしょうが,閑古鳥が鳴く空間と,結果として浪費される税金の額がふくれあがるだけと言わねばならないでしょう。

2003年5月28日

SEO [PR] J[hr AEx o^C av[g^T[o[ Cu`bg SEO