震災は如何に
叙述されるべきか?

1998年 2月12・17日  

(1)

 最近沸き上がりつつあるこの疑問のもと,幾つか思い出したものを拾ってみよう。

 1906年4月のサンフランシスコ大地震に遭遇した幸徳秋水が,被災者の姿を簡潔にしてつぶさに描写した文章を残している。その中で被災者自身が,誰に強制されるでもなくお互いに助け合う姿がもっとも印象に残り,それが彼の思想的転機になったとしていることは知られている。大正の関東大震災(1923年9月)では,先に江戸を襲った安政の大地震との比較という歴史的視点をも導入して,現下の「世紀の大惨害」を記録した,反骨のジャーナリスト宮武外骨が「関東大震災」という語を使ったことが,その視点と方法とあいまって,かかる語の定着をみるに到ったとされる。また,詳細な調査・研究の成果に裏打ちされたものであるがゆえに,寺田寅彦の「天災は忘れたころにやってくる」が今日尚名言として語り継がれているのである。私達が普段何気なく使っている言葉も,こうした背景があってのものなのだ。95年の阪神淡路大震災について書かれたものの数は,関東大震災の比ではないが,これらに匹敵する叙述は存在するだろうか? 

 小田実『でもくらてぃあ』・『これは「人間の国」か』などは,市民−議員立法実現を目指した政治論文としての性格を持つものであり,被災地/者の現状及びそれに対する政府・行政の態度を通して,現在の日本の政治の在り方への批判としての観点から理解・評価することが望ましいものである。もちろん小田の震災についての描写・叙述の可能性は,かつての『何でもみてやろう』で発揮されたところの対象への洞察力と共感を持った方法と視点に見出すことができる。自らも体験したこの震災に対しては,これがまだ十分に発揮されていないように思われる。

 田中康夫『神戸震災日記』というのがある。彼の作品で「日記」をタイトルにしたものは他にも「ペログリ日記」がある。これを日記というより「私小説の極北」と評した人がいたが,『神戸−』を最大限に称賛するとすれば,同様に評することも可能であろう。むしろ「ぺログリ−」より私小説的価値は高いかも知れない。どのように好意的に見ても,或は逆に悪意を以って罵倒するにしても,彼の作品についての評価が,かかる観点からのものによるべきであること自体に,本質的意義と問題があるといえよう。即ち「私」とそれを取り巻く物象という基本的枠組みにおいて構成されたものであることについてだ。彼の出世作『なんとなくクリスタル』では,「私」を取り巻く様々な事物(ブランドや店の名前など)を描写し,並べ立てることで「私」の環境の無気質性・仮象性・虚構性・刹那性などを浮彫りにしたことで成功したことは周知の通りである。またこうした視点・方法が対象に対して適切であったことが何よりもの意義なのだ。だが,こうしたものが被災者/地に向けられることが意味するものは何か? 即ち,彼が被災地で見聞・体験したことを,彼の諸作品を飾った諸々の名詞と同様に,「私」を飾るアクセサリーへと収れん・矮小化することである。もし自分が被災者であったなら,こうした叙述の対象にされることについてどう思うか,一度思いを致して戴きたいと思うのは私だけだろうか? 少なくとも,私自身が,避難所暮らしを経て仮設住宅の住民となったなら,かかるモノの一つに自らを加えられることを拒むであろう。

 小田や田中を歴史的人物と並べ立てて論評すること自体酷なことかもしれない。だが,もてる力を振り向け発揮する,或は対象にふさわしい視点と方法を以ってすることを求めることは,無理強いではないはずである。小田の再開眼と田中の翻身に期待したい。

 追記:今日のボランティアを取り巻く情況には,視野狭窄・自己満足への落し穴が至る所にあるといえる。これに導く可能性のあるものに厳しい眼を向け,自他への戒めと警鐘としたい。

(2)

 震災の叙述といっても文字によるものばかりではない。画像によるものもある。その中で写真について考えてみたい。芸術としてのそれは別として,レンズを通して撮影者が被写体に向けるまなざし及び両者の関係はどうつくられるものだろうか。 

 震災関連の写真展やグラフ雑誌でよく見るものに定点観測がある。同じ場所を同じ角度から撮り続けることで,その変化(或は不変化)を記録するものだ。市街地・繁華街・道路・鉄道などの「復興」ぶりを表現する上で効果的な手法だ。一方で依然として手付かずのまま残っている部分の存在を示すことはできても,前者と同様の説得力を持ったものにすることは易しくはないだろう。もとよりこれは,自然科学的観察の手段としてうまれたもので,被写体が観察対象と位置付けられ,そうしたものとしてのまなざしが向けられることになる。

 こうしたレンズを通したまなざしをヒトに向けたものの一つが,前世紀の人類学的調査であった。ヨーロッパ列強や日本が,植民地や勢力圏たる地の原住民に対してそれを行うことで,多くの知識をもたらすのに,写真の果たした役割は大きい。明治の日本の学者が台湾原住民を撮影した写真を「測定する視線」と評した写真評論家がいた。自らと異なった文化−自らが属するものと同等の価値を見出すことはしない−の中にある同じ人間にこうした一方的視線を向けさせるものが帝国主義というものだ。今日ようやっと差別用語として認識されつつある「土人」という言葉に示されるのと同様の意識を,そこに見出すことができよう。これが極端な例であるにせよ,こうした「科学的」にして一方的な,時として冷徹な視線を向けることで,何が写し取られ,何が写し取られなくなっているか,またそれをとおして私達は何を知り,何を知らずにいるか,一度考えてみる必要があろう。

 一般に,人物撮影において,撮影者が被写体たる人物とどう関係を取り結びながら撮影するか,思い付くままに例をあげてみよう。土門拳が画家の梅原龍三郎を撮影した際,カメラを据えたまま何時間も過ごし,ようやっとシャッターを切った直後,梅原は怒りを込めて椅子を投げ付けたという。大和の古寺仏を撮影したのと同様の手法を生きた人間に適用し,心の奥底からほとばしるものをとらえようとしたのだ。アラーキーこと荒木経惟に撮られる女性モデルはレイプされてる感じだという。もっとも同じ人物撮影でも,林忠彦や篠山紀信の場合,その種のことはなく,相手を和ませ,心を通わせつつ写し取っていくという。いずれの場合でも,人物撮影たる以上,モノに接するのとは一線を画した態度には違いないが,対象−被写体への働きかけの中でなされるが故に,その在り方が結果を規定することはいうまでもない。各々の働きかけ方によってしかできないものがあり,それぞれに意味を持つ。

 被災者を撮影するのに,後者であれば,生きる力や意欲,希望といったものを,彼らの中から引き出しつつなされるもので,彼らの側にとっても心地好く元気づけられるものであろう。自分がその立場なら,こうして欲しいと思うのは私だけではないだろう。だが,震災から4年目に入り,いまなお棄民同然の情況におかれた彼らのナマの姿を,人間としての尊厳を踏みにじられた心の痛みと怒りを告発しようと思えば,土門が梅原に対してとったようなやり方(アラーキーのそれではない)も,必要なのかもしれない。

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