たんじゅう

1997.4

 皆さんは「たんじゅう」というものをご存じでしょうか?

 漢字を当てはめると「炭住」となり,炭鉱労働者の住居のことです。明治時代から40年前の昭和の半ばぐらいまでは,日本の主要なエネルギーは石炭でした。そのため多くの炭鉱があり,地下深くのびた坑道の中で,危険で厳しい仕事をする多くの炭鉱労働者がいました。彼らは交替で坑内に入り,仕事が終わると,体の汚れを落とすのもそこそこに,炭住に戻って体を休めました。こうして炭鉱と炭住が彼らの生活の場となり,これらがひとつの街を形づくったのです。ところが,30年ぐらい前,エネルギーの主流が石炭から石油に代わっていったため,各地の炭鉱は相次いで閉山していきました。そこで働いていた人々も,代わりの仕事がないので,よそへ仕事を求めて散々になっていきました。こうして炭鉱の街はさびれて,現在にいたっています。また,盆踊りの時によく耳にする『炭坑節』にもうたわれた,有名な三井三池炭鉱がこの3月末で閉山したというニュースを覚えている人もいるでしょう。

 この3月下旬,かつての炭鉱の街を訪ねる機会がありました。九州北部には石炭採掘がさかんだった地域があり,その筑豊炭田最大の炭鉱があった福岡県田川市に行きました。ここには石炭資料館があり,中を見て回りながら,かつて炭鉱で働いていた方から,筑豊の概略に始まり,坑内での作業の様子など貴重なお話を聞くことができました。また屋外では高い煙突が保存されているのをはじめ,炭住とそこでの生活風景が復元されていて,昔をしのべるようになっています。


現在も人が住む炭住。(97.3.27 福岡県田川市)
老朽化のため,屋根は瓦やスレート葺きからトタンになっていて,壁もトタン張りが目立つ。次も同じ。

 これだけではあき足りず,本物が見たかったので,炭住が残っているところに行きました。現在かつての炭住の多くは高層住宅になっていますが,少ないながらも,そのままの姿で残っていて,今も人が住んでいる炭住があります。建てられてから半世紀は経っていそうな木造の長屋は,一戸当りの面積も広くなく,老朽化が進む中,何とかして住み続けているのが判るものでした。写真に撮ると,前景に菜の花が入ったり,バックに桜が入ったりして,一見のどかな風景になってしまいましたが,かつての炭鉱の街に残された人々の生活は,決してそのようなものではありません。ここに案内していただいた田川高校の先生の話では,この市の高校進学率は70%にとどまり,生活保護受給率は全国平均の30倍もあるとのことでした。これらがその一端を物語っています。

 この時考えたのが,阪神淡路大震災の仮設住宅のことです。長屋という形が似ているからというだけではありません。そこに住む人の暮らしの上で共通点がいくつかあるからです。第一に,自分の力だけでは新たに生活を立て直すメドが立たない人が多く残されていることです。炭鉱がなくなる時,国は失業対策や代わりになる産業の誘致などをしましたが不十分でした。ましてや神戸の被災地に対しては,この2年余りの間,被災者が多いとか,個人の財産になってしまうなどと理由をつけて,生活基盤を再獲得するための被災者個人に対する支援を拒んできました。第二に,時間が経つにつれて,人々に過去のものとして忘れさられることで,事態が一層深刻化していることです。すなわち,現代日本の忘れさられとり残された部分としての孤立と孤独を強いることになるということです。


まだ住民が残る仮設住宅の解体現場(1997.3.10, 芦屋市精道中校庭)
再三市当局に退去を要求され,住民も3月末での退去を呑まされた。ところが期限前に工事が始まった。手前はまだ住んでいるが,隣までは,内装・窓枠等が取外されている。この時,残る3世帯のうち,5月まで家が建たないのと行先未定が1世帯ずつあった。次も同じ。

 このように,炭住に神戸の仮設住宅・被災者の姿を投影して,改めて問題を認識できたように思いました。だが,それ以上に深刻な問題があることを見逃すわけにはいかないでしょう。炭住は一時的住居でないばかりか,閉山後も居住が認められていますが,仮設住宅の場合,まだ次の生活のあてがないのに,落ち着いて住めないような情況がつくられています。エネルギーとしての需要が少なくなって,石炭産業は過去のものになりましたが,被災地の産業は震災の直前まで現役で活躍していました。震災後人がいなくなり,まちが解体情況にある中では,再び同じ場所で同じ仕事を始めることはできません。そのダメージは大企業よりも,中小・零細企業や個人商店の方がはるかに大きく,何とか無理をして店や工場を再建しても,客がいなくて商売にならなかったり,関連産業や同業者・得意先が戻ってこないために仕事ができなかったりといった情況が依然として続いています。これがどれほど大きな損失になっているか,今一度考えてみる必要があるでしょう。

 そして何よりも大きな問題は,国・行政のこの2年余りの態度でしょう。震災後彼らの関心は,治安・秩序維持という最も権力者・支配者らしさを示すものと,橋や道路などの“復興”したとの印象を与え,同時に大きな利権を生むものとに,専ら向けられてきたといえるでしょう。今,生活再建のための公的支援を求める市民・議員立法の運動が進められています。まとまった額を個々人の被災者に給付するため,兆単位の予算が必要となることから,その財源と対象とする範囲を問題にする人もいますが,それは余りにも次元の低いことではないでしょうか。これが実現しても,給付されるのを待ちきれずに力つきる人も増えるでしょうし,もしもっと早く−理想的には震災直後−になされていれば,もっと少ない予算で済み,もっと多くの人に行き渡り,もっと有効に使われたであろうことは,想像にかたくありません。逆にこのまま放置し続ければ,その損失はどれほどものになるでしょうか,またそれをお金でとりかえすことができるでしょうか? このように考えていくと,公的支援の実現を求めていくことは,現在および将来の被災者の生活再建のためだけでなく,その過程で国にこれまでの態度に自己批判を促す意味をもたせることができれば,有意義なものになるでしょう。

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