「そして神戸」上野・東両氏
ハンガー・ストライキ支援日記

1996・12・13

11月30日から,上野泰昭(うえの・よしあき)・東喜信(あずま・よしのぶ)両氏が,夜は日比谷公園に張ったテントに寝泊まりし,昼は国会議事堂裏の議員会館前で座り込みを続けるという形で,ハンガー・ストライキに入った。12月1日の「全国交流集会」で上映されたビデオを見てこれを知リ,以来時間の取れる者が支援に当たった。

12月2日(月):神戸から上京した東条・清重・岡本・寺野に在京の小山・原を加えたメンバーで議員会館を回り,この事態を伝えつつ陳情を行うという行動を展開した。もっとも本会議中のため議員本人は居らず,専ら秘書などとの対話実現が狙いとなった。冷たくあしらうところもあれば中まで招き入れて話を聞いてくれるところもあるというように,対応は様々だ。好意的な対応をしてくれたところは,神戸にいたことがあるとか,被災地に友人がいるというような,秘書の個人的な関心や思い入れによるところが大きいという印象だ。

4日(水):午後から原が国会裏へ。両氏と芦屋からきた主婦の支援者,在京のヴォランティアらに混じる。夕方5時前に撤収しテントに向かう。顔色こそいいものの体力の低下が激しく,荷物を持っての移動が大変とのことなので,あす以降も,朝夕の移動の手伝いを中心とした支援を続けることにする。自転車で荷物の一部を運びテントに向かう。夜両氏は,食事代わりの白湯を戴く。日テレ「ザ・ワイド」のキャスターという女性が通りがかる。テントを見て「優雅ですね」などという。悲壮感を漂わせてというのでなく,天霊院隆明氏の指導を守って長期戦・持久戦の構えで臨んでいるからであろう。しかも初め,場所と時節柄厚生省の問題への抗議かと思った彼女も,説明を聞きビラを見るうちに真剣な表情に変わっていった。この一件を除いて,在京の報道関係者がテント及び座り込み現場を訪れることはなかった。この日『朝日新聞』大阪本社版には,市民立法と自転車キャラバンと併せてハンストが紹介され,国会前に座り込む2人の写真もあった。関西圏と首都圏の震災をめぐる「温度差」を如実に反映している。就寝は,体力の消耗を抑えるべく8〜9時頃と早い。これにあわせて帰宅。

5日(木):ハンスト突入後始めてのまとまった雨。しかも風が強い。両氏にとっては試練の1日だ。撤収時間に合わせて,岩崎・原が行く。雨も夕方には止みつつあったことと気温が低くなかったことが幸いした。

6日(金):朝8時半,原が自転車でテントに着く。国会裏への移動の手伝いのためだが,昨日の雨による体力消耗などが心配だったためでもある。出発・移動に手間取り,10時頃から座り込みにはいる。上野氏は,議員会館の田中甲事務所で,梶山官房長官への手紙を毛筆で書く。11時半頃,これを見届けて大学へ向う。夕方は岩崎が行く。

7日(土):国会裏に集まった支援者の数は,昨日より多い。岩崎は昼から,原は3時頃から参加。両氏の体力は急激に低下している。この場に集まった者で「元気に神戸に帰らす会」を結成し,あす日曜日は有楽町マリオン前で座り込みを行い,東京圏の人々に,被災地の現状を訴えることにした。この日,上野氏が言った「断食を議員の前ですることによって「飢え」のそして「神戸」の現状を再現している」とのことばは皆の心を打った。そして「公的援助は自分たち阪神淡路の被災者の為にではなく,今度日本のどこかで災害が起こったとき」のためにとまで言わしめたことで,丸2年近くの間放置されてきたこの現状の重みを改めて噛みしめた。このことは運動を進める者が当然にも考えるべきことではあるが,上野氏の口から語らせるべきことばではなかったといわねばならない。

8日(日):昨日急遽決めた有楽町マリオン前での街頭行動には,小山・岩崎・原が参加。現地に到着したのもこの順番であった。他の首都圏在住の支援者とともに,道行く人にビラを渡してゆく。ビラの捌け具合いからすれば,思ったより反応は良かったといえる。この日断食9日目となった東氏は,石のように動かなかった。その傍らで天霊院隆明氏がマイクを握る。命懸けで闘う東氏を隣にして,声・口調もいつもの穏やかなものとはうって違ったものに。一方,上野氏は国会裏を空けたくないと1人で行った。この日が上野・東両氏だけでなく,サポートする側も体力・気力共に最も大変な1日となった。かくいう私も,自転車で駆けつけたものの,時間は夕方近くになってしまい,到着するや睡魔に襲われ,まず眠気覚ましにコーヒーを飲みに行ったのである。そして捌けたビラを補充するべく,自転車でコンビニまでコピーしに行ったが,2度目はさすがにきついと思われたのか,他のヴォランティアから自転車を貸してくれといわれた。かくして自転車ヴォランティアから単なる自転車提供者に転落したわけだが,それでも,マリオン前を撤収し日比谷公園に戻るまで同行した。

9日(月):携帯電話に電話したところ,衆参両院の被災地選出議員による超党派の議員連盟結成へ動きだしたことを聞くや,一転別人のように元気になった模様。

10日(火):今日もほとんど1日中大学におり,支援には行けず。昨日同様電話による確認と激励。上野・東氏等が,被災地選出議員と会い,ハンストをやめるよう説得する議員を前に,ここに至った現状を訴え,「阪神淡路被災地国会議員連絡協議会」の結成と,その代表格の石井一議員からの債務に関する“前向き”な言質を得てハンスト中止を決めたとのこと。ハンストはこれで終ったが,この言質を実のあるものにするための新たな闘いがこれから始まる。このことを忘れてはならない。

11日(水):東京の新聞ではこの日初めて(そして恐らく最後でもあろう)ハンストが報道された(『朝日』朝刊)。夕方原がテントへ。ハンストは昨日で終っているが,支援を続けてきた在京のヴォランティアたちが三々五々やってきている。そうした中,上野・東両氏は,朝よりは具の多い野菜スープの夕食をとる。一時期40台まで落ちた脈拍数も60台まで回復。こうした中,2人を囲んで延べ十余人の支援者と深夜まで話す。昨日の議員とのやりとりの過程や,現在の被災地での被災者の運動の現況の否定的情況などを聞き,各自の感想を述べあったりする。何日もテントに泊まり込んで支援した人もいればわずかな時間を割いて支援にきた人もいる。その関わり方は様々であったが,命を懸けて11日間のハンストを闘い抜いた2人とともに過ごしたことは,一人一人のなかに,短いことばでは語り尽くせない,自らをかえる何かを残したことであろうと,私は信じる。

追記

その後の上野さんを紹介したページが出来ました。こちらもご覧下さい。

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