豊喜好晃さんをおくる

豊喜好晃さんは震災で自宅が全壊,自らも負傷し足に後遺症が残り,塗装業の職を失った。仮設住宅に入居してからも生きる張り合いを失い,アルコール依存症となり,ついに「遺骨を故郷・徳之島の海へ自然葬」してもらいたい旨の遺書を残して40年の生涯を閉じた。これに「そして神戸」の上野さんらが中心となって,三宮・フェニックスプラザで「送る会」を開き,多くの市民・ヴォランティアらから贈る言葉や手紙・詩などを募って慰霊と餞にした。翌21日,徳之島の海に散骨した。

新世紀を迎え,震災や仮設住宅での「孤独死」は過去のものであるかのごとく忘れ去られようとしていう中,その死からちょうど4年目にあたって,その時寄せた言葉を再録し,逝きし「いのち」に思いを致すこととした.

 

 この1月26日,寒さのひときわ厳しい仮設住宅のなかで,誰にも看取られることなく,酒の力をかりて,自らの人生に終止符をうった豊喜好晃さんに,故郷へのはなむけのことばをおくります。

 多くの人と同様,生前には面識なく,新聞報道を通じて貴兄のことを識りました。仮設住宅で過ごした貴兄の一年半余りの時間の長さと重さの感覚と,それが意味するところは,私などの想像を超えたものがあることでしょう。「孤独」とか「絶望」ということばでその一端を指し示すことはできても,その内実の如何程に思いを致せるかは,正直いって自信なく,また,これを適切に表現することも難しいといわねばなりません。

 阪神淡路大震災における死者数は六千余りであると,お上の都合によって, いわば作られた数字が,日本の内外をかけめぐり,一つの象徴となっている今日,それが契機であるにしても,震災それ自体ではなく,その後の“人災”によって,人生を,また運命をかえられた無数の人々の存在と,その中で生命を失わされた二千余りの存在が顧みられないという情況がつくられています。

 しかし,貴兄の「生命」は断たれても,残された思いは確かに私達に伝わり受継がれていることを,そして貴兄の死に接した私達一人一人が,震災によって人生をかえられた,全ての人の尊厳の回復に尽くしてゆくであろうことを,ここに報告しておきたいと思います。

 貴兄の故郷・徳之島の海は,その思いとともに四海に通じています。安らかに旅立ってください。

    1997年4月20日



徳之島で散骨する上野さんら「送る会」のメンバー。

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