雑感

  1996年11月

阪神・淡路大震災から1年10ヵ月が過ぎた。当初は連日連夜報道合戦が繰り広げられたが,地下鉄サリン事件を機に,我々の耳目は震災から引離されてしまった。以来断続的になされる報道は,鉄道・道路・公共施設などの“復興”が殆どで,仮設住宅での孤独死にその一端が示されるような,生活再建の目処が今尚たたない被災者が,数多く残されていることは僅少といわざるをえない。また“防災”を口実とした再開発の強行など,行政の冷酷な対応の実態は,地元以外には殆ど知られていない。私は昨秋以来,友人の誘いでヴォランティアに関わることとなった。仮設住宅を訪問し,住民の声を聞き,彼らが自治会を組織して,身近なことから公的個人補償まで,市・県さらには国に対して,自らの声や要求をあげるお手伝いをする活動内容だ。そうした中で感じたことを若干述べてみたい。

震災の爪痕が残る被災地で思い出したのが,1906年4月18日のサンフランシスコ地震に遭遇した幸徳秋水の文章である。「大火延焼三昼夜にして止まず,桑港の目貫の場所なるマーケット・ストリートを中心として市街の大部分は全く焦土に帰せり……予想ふ,是れ有史以来稀れに見る所の物,楚人の咸陽の炬,羅馬ネロ王の放火の光景,僅に以て比すべしと。家を失ふて野外に宿する者,三十万と号せり,全市余す所の食物は官府の為めに徴発されて私に買ふことを得ず。市民皆な有司の救恤に依て飢を凌げり。……彼等〔白人〕は不時の災禍に逢ふや,蒼惶狼狽措く所を知らず,叫呼し,泣涕し,昏迷するのみ,甚だしきは其財富を焼失せる失望の為めに,若くは単に恐怖の為めに,発狂せるもの少からず」と情況を描写する。更に一切の治安・権力・財富を焼き尽くす火の勢いに借りて「言ふ勿れ,之が為めに飢凍は来り,失業は来れり,十万の細民は具さに惨苦を嘗むと,されど是れ火の罪に非ず,是れ唯だ今の社会組織の罪なり」と喝破していく。阪神・淡路を彷彿させるものがあろう。自らも被災した中で,その地獄絵のごとき光景の現象だけに目を奪われるのではなく,これをもたらした自然だけではなく人間の側の原因にも透徹した眼を向けているところに卓見がある。更に別稿では「無政府共産制(Anarchist Communism)の状態に在る。商業は総て閉止,郵便,鉄道,汽船(附近への)総て無賃,食料は毎日救助委員より頒与する。食料の運搬や,病人負傷者の収容介抱や,焼迹の片付けや,避難所の造営や,総て壮丁が義務的に働く」と被災後の市民の姿を活写する。ここでいう「義務的」とは自発的の意味である。孟子の「惻隠の情」に発したというべきか,クロポトキン流というべきかはともかく,自発的相互扶助の精神の発揮を看て取った。実はわがヴォランティア活動もこれに依拠していることに気付いたのである。「併し此理想の天地も向ふ数週間しか続かないで,又元の資本私有制度に返るのだ。惜しいものだ」と結んでいる「有益な実験を得た」この体験が,秋水をアナキスト・直接行動論者へと導いたことは『予が思想の変化』にある通り,周知のことであるが,一大思想家の思想を変化せしめる情況に今一度思いをいたして戴きたい。そして今尚震災が終っていないことを。

 『初期社会主義研究会通信』第34号

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